【澪標】が市章になった経緯を調査 | ◆笑門来福/夢の円座◆

【澪標】が市章になった経緯を調査

気になるのはぼくだけやけど
『みおつくし 明治26年4月に市章図案の懸賞募集から』
【澪標】が市章になった経緯を調査


『新修大阪市史 第5巻』(平成3年、大阪市発行)p.210-212
市章制定の経過
・明治26年4月 市参事会が市章図案の懸賞募集
・明治26年6月12日 市会に徽章(市章)原案提出
・原案に対し慎重に調査するため調査委員会を設置
・明治27年2月24日 市会に調査委員会として「澪標」を
 市章として決定すると報告。
 採決の結果調査委員会案が採用される。
・他の案を推す議員から廃棄説が提出されたため再議
・再議の結果、廃棄説、修正説、澪標説のいずれも過半数を得ず、
 あらたに調査委員5名の設置を決定。

・調査委員は澪標を適当と認め、市会に報告

・明治27年3月26日 市会で澪標を市章とすることが確定
・明治27年4月12日 告示第38号で「澪標」と制定。

また『大阪の歴史 第50号』
(平成9年、大阪市史料調査会発行)p.105
澪標の市章確定の経緯と調査委員の選定理由。

「澪標ハ、古来特ニ我大阪湾頭ニ立テ航路ノ深浅ヲ示教シ、以テ船舶ヲ
安全ナラシメ、終ニ我市ノ繁栄ヲ授テ今日ニ及セルモノ、其因アルヤ大
ナリ。且ツ世人ノ最モ知悉スル所資ヲ以テ、我商業府ノ徽章トセバ、果
シテ能ク其意ヲ表彰スルニ庶幾乎」

 

『新修大阪市史 第5巻』
『大阪の歴史 第50号』大阪市立中央図書館