ユングは母親からの心理的な成長、親離れのことを「母殺し」という刺激的な表現をしています。
生まれて来た母から無意識でさまざまなものを(いらないものも)もらって成長してきた娘は、自分ではないものを脱ぐために意識的に母殺しをする必要があります。
それは彼女たちを否定するのではなく完全無欠にみていた母親という存在もまた無意識を受け継いできた娘であったことを認める作業でもあります。
いわゆる毒親というのが流行ってきているのも
「親は完全な人間ではない」ということが世間に認知されるには良い事かと思います。
だけどそれに便乗して
親=悪とか親と対立して。。というのは違和感感じちゃう。
本当に虐待傾向にあった家庭の親と
そうではないけども居心地の悪い親のことを十把一絡げに「毒」となってしまうのもなんとなく危険性を感じている。
まだ子供が赤ちゃんの時に参加してみた会で
何か、自分の母親のことを否定していいのだ、という趣旨のことを話していて
(もう記憶が曖昧なのでうろ覚えすぎる。。)
私も夫も「真性のマザコン」なのでそこは全くピンと来なかった。
つまり趣旨的には親殺しの話をしているのだと思う。
ただそのことを話す時に
その会を開いてる人たちが少しでも現在進行形で親を憎んでいるエネルギーがあると、それは伝わっていくものだ。。
つまり完全に心理的な親殺しが終わっていたら、そこは強調しない。
母親は愚かで、自分は正しいのだというムードがその場にほんのりとあって、なんとなく危険だ、と感じた。
私も、夫もそれぞれの母親が好きだけどその人たちが全く私たちの性質を真に理解していたかは、怪しい。
過剰に愛した、あるいは過剰に心配した。
だけどそれが間違っている、とはどうしても言い切れない。
ただ、そのように私たちへの愛を表現した。としか。
そして当時の本当に自分を理解してほしい、という気持ちは自分自身への探求の内なる声に過ぎない。
真に自分を愛したい、という探求の最初の扉の
鏡として親は存在してくれている。
ラーニング・ラブではその探求と、セラピーの組み合わせで自分を知っていき、また愛するということを味わっていきます。
こんな風にシンプルに寄り添い、離れられたらなんていいんだろうと思いつつ。。。
人間の面白さもあるよね。