続き
大給城で特徴的なのは城北面に「水ノ手曲輪」といわれる曲輪を2つ設けていることである。
これは谷筋を堤防などで複数に区切って2つの曲輪として構成し、それぞれの曲輪内を井戸水と雨水によって湛水させることで、水堀と水利、両方の役割を果たすものである。
堤防のうち一つは幅30m、高さ5mの大規模なものである。
まずはズームにて
もぉキョロキョロ
ダメだ
下に降りよう
下る途中から
もぉテンションあがりっぱなし
仕切っている土手から
おぉぉぉ
ぎゃ 逆光か〜い
うろちょろして試す
何枚も撮る
すごいのなんのって
今はあの苔むし子を、きれいにして石を剥き出したいっ
素晴らしいな
キリがないから
退散じゃ
・・・
はいはい
戻ります
こぉいうのが、いいんだよね
適度な管理の城跡が
私には合っている
最後にもうひと冒険しようと進んだら
また水の手に出てしもぉた〜
怖い
帰るぞ
余計なストレス(虫ブン蜘蛛の巣)はないのだけれど
何となく居心地が悪くなってきた
お邪魔しましたよ
大給松平氏は周囲の松平一族とたびたび抗争を繰り返しており、大給城は1575年(天正3年)に滝脇松平家の襲撃を受けた際に放棄された。
そして徳川家康が関東に移封となったため、廃城となった。
なお、大給城から続く尾根の東端に松平乗元の墓が設けられている。
最後にご挨拶
ありがとうございました
以上
一見の価値あり、の大給ダムでございました