よっしゃあ!
久しぶり。実に久しぶりに、勤務明けで涼しい日が到来。ちょっぴり雨が降っているけれど、そんなもんご愛嬌さ。
どういうワケかここ最近は本当に、仕事から帰るなり亜熱帯ムード全開からの睡眠不足により、昨日とか結構体力的にヤバかった。そんな苦労もコレでおさらば!とニッコリ夢うつつを堪能したいのだが、今日は午後から親族会がありましてね。都内で屋形船ツアーというイベントが。はい、スヤスヤ寝てなどいられません_| ̄|○

てなもんで少しでも睡眠時間を確保しようと、朝食はコンビニメシで済ますに決定。
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自炊でない朝食など、何年振りだろうか。なんかちょっとゾクゾクした。
ともあれこの「助六寿司」を見ると思い出してしまうのは、過去のコンビニ勤めを始めた初期の記憶。

入社して1週間ほど研修所という名のサティアンに監禁され、電話帳サイズのマニュアルを数冊叩き込まれる洗脳儀式からスタート。それ自体は苦痛ながらも本当の地獄は食事にあって、なんか知らねえけど1週間3食の毎度毎度「鮭」が出たんだよ。一応料理のバリエーションに多少の工夫は見られたものの、そりゃあ日増しにレパートリーは被っていきますわな。そんなサーモンフェスタに3日目くらいで「エサかよ!」ってキレて、「もう俺いらねっす」との食事ボイコットというか脱クマ宣言を果たし、以降カロリーメイトとビールで凌いだ。今考えれば朝イチからビールを飲んでいた新人研修生をクビにしなかった会社は、懐が深かったのかバカだったのか。
そんな監獄研修が明けて現場研修に移行した頃には、他の社員からは完全に孤立してますよね。そりゃそうだ。みんな頑張って鮭を食い尽くし夜な夜な勉強していた時間は、一人全開でビールマンだったのだから。
ようやく現場の初日。自分とは違うタイプの馬鹿だと要チェックしていたボクちゃんが、終礼の質疑応答時に「助六寿司の助六って、なんですか?」なんて、指導員へ至極どうでもいい質問をカマしたのだ。それに対して指導員は「うーん、それは分からないなあ」なんて腑抜けたヨチヨチ対応を見せたものだから、そのキンダーガーデンムードが酷くキモく、また軽くキレてしまって(笑)思わず「歌舞伎だろ」と突っ込んでしまった。
「歌舞伎に助六つーキャラが居てね。そいつの恋人が“アゲマキ”ってんだ。いなり寿司の油揚げと太巻きに掛けたシャレで、助六寿司つーんだよ。そんなもんテメーで調べろ。」とか、続けちゃったと思うんだよねえ。
それらが原因で、それから転属したあちこちで初めて会った社員から「あぁ、ビールの」とか「あぁ、歌舞伎の」とか、変な冠名を頂戴することになりましたとさ。
因みにあの時の同期はバタバタと辞め、結局最後まで残ったのは俺だったという。やっぱ1週間の鮭連チャンに甘んじる方がどうかしてるって。

ただ、社内の風当たりは伊勢湾台風ばりに強かった(笑)全国1万店以上を誇るチェーンにあって、僅か1店のみの特殊店ばかりに配属されたり。副店長の名刺が手元に届く前に店長にさせられたり。時間と場所が無さすぎる新店舗の立ち上げなんか、公園でバイトの面接さえした(笑)そんなオンリーワンなキャリアはエリアマネージャーになった時、一切通用しないというオマケ付きでもあった。
しかし「死にゃあしねえ」と耐えられた当時のガッツが、我ながらすげえ。また退職直前の全国会議が傑作で。お中元だかの予約件数で俺が地区ワーストだってんで、進行役の上司に「立て!」と名指しを受け。「何をやっていた!言ってみろ!」と言われたので、「引き継ぎです!自分は明日退職しますので、がっつり新人担当への引き継ぎをしてました!予約どころじゃなかったっす、マジで!」と言ってやった時の上司の顔と場の空気ね(笑)「そうか‥」とたじろいだ上司こと兼ねてから気に食わなかった能面豚へ「つーかそういう人事を把握すんのがあんたら上司の仕事じゃないんすかね?仕事してねえのはあんたじゃね?」と、若気の至りを爆発させてしまったりも。お陰で僕の送別会は、すごくトゲトゲしたカオスそのものだったよね。

まごう事なき自分の歴史なのに、こうして書いていると全く別人の事のようだ。なにコイツ、超怖いんですけど。
今や星を眺めては詩をしたためたくなったり、花を眺めては腐葉土を盛ってあげたくなったり。できるなら、沢山のワンちゃんに囲まれて奴らの唾液塗れになりつつ、風のざわめきに傷心したりの日々を送りたい抜け殻っぷりだから、自分の想い出で凍りそうになった。

コンビニで「助六寿司」をチョイスしたのは失敗だった。