こんばんは、完全にTwitterとFacebookとInstagramに依存していてブログサボってます佐野です。 

なんとなく、移動時間を利用してブログを更新しようと思ったわけです。


タイトル通り、今日は家族のお話。

父と母と弟と妹、佐野家は5人家族です。

小学校校長の父
看護士の母
バックパッカーの弟
高校一年生の妹
 
今回は小学校校長と看護士の母のお話をします。


母と電話をしていて、出て来たエピソードです。


まず、私が知ってる二人を紹介します。

父、血液型はA型。かに座。頑固でマイペースで怒りっぽくて、お腹が空くと機嫌悪くなるし。平熱が低い様で、36度7分で、微熱だ、クラクラする、といって寝込みます。
松岡修造さんまではいかないけど、熱い人です。ギャンブルも好きです。チャレンジ精神が常に旺盛なわりには、偏見や固定概念が強いところもあり、めんどくさいです。あと落ち着きがありません、常に何かしてないと駄目みたいです。

とまぁ、話し出したらきりがないくらい父に対して思っていることはたくさんあります。

ええ、嫌いでしたから。笑

その話はまた今度ゆっくり。


母、血液型A型。星座はうお座。父とはまた違うマイペースなのんびりした空気を纏ってる人。淡々といつも自分の仕事をこなす。冷淡な人、と言ったらすこしひどい人に聞こえますが、何にも動じない強い人ってことです。けど、本当はすごく家族のことが心配で不安でたまらないのだと思う。多分。
人見知り、だから友達すごく少ない、てかほぼいない、と思ってた最近まで 笑
最近は飲みに行ったり、同級生と連絡を取ったりしているみたいです。
平和主義なので基本仲裁役。頓着がないと言えばそう、何か私が愚痴ると、しゃーないしょ、と良く言われます。寒いのが嫌いです。雪も嫌いです。


二人に共通してるのは、家族を信じる心がすごく強いこと。私が何してても弟がなにやりたいのか分からなくても、妹が私と同じ道に進みたいと言っても、最初はやっぱり色々考えてガミガミ言うけど、一通り話し終わると、信じて静かにじっと見守っててくれる、そんなお二人。


実家に居た頃の二人は喧嘩も多かったりして、この二人なんで結婚したんだろうってずっと思ってました。いつか離婚すんじゃないかと。そしたら私は私で生きていこう、なんて小学生が考えるくらいには喧嘩してました。父はすぐ外に出掛けてパチンコしばらくやってくるし、母が電気のついてない部屋で泣きながら洗濯物を畳む姿もありました。



そんな父と母、妹が高校に入って、春からやっと二人暮らしをしています。
私が生まれる一年前に結婚しているので26年ぶりの二人暮らし。

どんな感じの気分なのか私には想像もつきませんが、ちょくちょく仲良しエピソードを話してくれます。
最近は父がどこへでも付いてくる、と言っていました。
今週末に母は同窓会が函館であるらしいのですが、「俺もいこうかなー」なんて父が言ったそうです。
母は、「お父さんついてきたってどうすんのさ 笑」と一言バッサリ。

多分、父のやることは決まってパチンコか映画鑑賞。
一人で家に居たくないのか暇をもて余しているのか分かりませんが付いていきたがってるそうです。
ちょっと近所に買い物に行くだけでも、俺も行くかな、と付いてきてはポテトチップスやらインスタントラーメンやらをかごにいれてくる、と母は笑いながらぼやいてました。

去年の冬には家から徒歩1分もかからないドラッグストアに行くのに、近いから母は歩いていくと、父は寒いから車で行くと言って、同じところに行くのに、しかもめちゃめちゃ近いのに、それぞれの移動手段で買い物に行ったそうです。
顔見知りの店員さんに、ほんと仲良しですねーなんて言われたのを楽しそうに話す母。


なんだ、めちゃくちゃ仲良いじゃん。

話を聞いて、私の中で何かがストンッと落ちたようなはまったようなそんな感覚がありました。
両親が仲良しなのってなんだかじんわりと幸せな気分になりますね。

小・中学校はほぼ反抗期、高校からは家を出て、年に何度かしか帰らない、卒業して東京出て来て今じゃ年に一度帰れば良い方、と言うなかなかな親不孝者の私には、両親が今までどんな生活をしてきたいたのか全然想像もつかなくて、本当につい最近になるまで二人のことをちゃんと考えたことし、知らなかったんです。
だから、きっと私、ホッとしたのかな。


結婚してから、子供のために、家族のために駆け抜けて、やっと二人きりになれたラブラブエピソード。

将来結婚することがあるなら、
父と母みたいな夫婦になりたいと思った。
言葉は少ないけど、強く深いところで繋がっている。心が、同じ場所にいる。
そんな関係になれる人なら結婚したいなと思いました。

私、二人のことは尊敬はしていましたが、父のような大人にはなりたくない、母のような人生は送りたくない、と小さい頃から思っていました。
18歳で家を出て両親の有り難みを知り、26歳になって、やっと父と母に心が近づいた気がした。

そんなお話でした。