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その男は、この夏までに再び居酒屋を始めるつもりで準備をしていた。
京都祇園の料亭で板場修業をした男は、腕は確かだったが、それを自負するあまり、来る客の意見を素直に聴くことが出来ず、35年程前に教わったよそ行きの料理に固執し、漬物で一杯やりたい客の我儘を許せずに自分のプライドを押し付けた。
「大将、この鍋味が薄い」
と言う客には、
「はじめの内はそう感じるかも知れないけれど、最後まで食べてから判断して」
と、素っ気なく言った。
素材の持ち味を活かす京料理の上品な薄味の味付けをその舌に叩き込まれていた男に、昼間体を使って汗を流した労働者の渇いた舌を察することは出来なかった。客の方も、場末の小さな居酒屋で、洒落て着飾った料理を期待していた訳ではなく、自分達の口に合うものをがさついて食べるだけで、男のこだわりに思いを寄せることなどなかった。

2回自分の店を持ち、2回店を閉めた。1度目はテナントの大家が変わることにより、新たな費用が発生することになったために見切った故だった。2度目は辺鄙な場所が災いしたのか、客足が途絶え撤退した。

その後、畑違いの土建業や個人経営の仕出し屋、はてはチェーン店の寿司屋など、職を転々としたが、どこも長くは続かなかった。

……もう一度、花を咲かせたい。
男は口癖の様にそう語っていた。

男は妻を、子供達がまだ幼い頃に不慮の事故で亡くしていた。車による自損だった。
亭主関白だった男は、家が建てられる程の大きく立派な仏壇を買って、妻に精一杯の供養をした。

以来独身を通し、懸命に息子と娘を厳しくもぎこちない愛情で育てた。

やがてしっかり者の娘も良縁があって嫁ぎ、息子も数年前に純朴な嫁を貰い男と同居した。
たが、客に接すると同様に、息子の嫁に対しても、その生き方を曲げることは出来ず、若い嫁のすることなすこと意に添わなく、自然に孤立した。それでも息子のためと思い、何も言わずに辛抱した。
2、3年がすぎた時、ふとしたことがきっかけで、嫁と口論になり、溜まり兼ねていたドロドロの男の感情が一気に爆発した。

次の日、嫁と息子は黙って家を出ていった。
若い夫婦も辛かった。
強がる男も、他人に愚痴る裏で泣いていた。
仏壇の前で先立たれた妻に手を合わせて何度も話しかけた。
しかし、2度と二人は帰って来なかった。

酒量が増えた。
いつしか男の周りには親しい人々がいなくなってしまっていた。
歯車が狂った男の人生という乗り物が、傾いたまま急な坂を徐々に転げ落ち、次第にスピードを上げていることに気づきはしなかった。

つい先日、2度目の店の時に世話になった近くの居酒屋のママから、前の店が空いたので、もう一度商売を始めてみないか、と電話があった。

男は一瞬戸惑ったが、燻りかけていた自分の夢が、火花を散らして再び炎となって燃え出すのが自分で分かった。

店の道具、信楽焼の皿や調理器具、調味料にいたるまで、今すぐにでも店を開けられる様に常に大切に、家の中や倉庫に保管してあった。
店で使っていた冷蔵庫も、空のままずっと動かし続けてあった。長期間機械を止めると傷む心配があったからだ。まるで男の胸の中のように。

開店に向かって、着々と準備が進んでいた矢先だった。
夢に向かって走り始めたはずの車が、道を踏み外し、一瞬にして闇の中に消えてしまった。
妻と同じ自損事故だった。
少し逞しくなった息子夫婦が、やっと帰って来た。
込み上げる思いを、亡骸に落とした。

男は夢を抱いたまま、夢に抱かれたまま逝った。