目を見て話しなさい!と言われる事について再度考えてみた。
車の運転中にBluetoothなどイヤホンマイクなどで喋る時って前は見えてるけど『意識』は喋る方に向いてる方が大きくはないだろうか?
車の運転中考え事をしていたら通った景色は覚えてない事はないだろうか?
目を見て話すという事もそれに似た感覚であったりするのではないかとも考えたり出来る。
『相手の目を見て』は相手の気持ちまでは見てない時もあるんだと思う。
相手に言いたい事に意識を大きく持っていかれていないだろうか?
本当に相手を気持ちを見て物を言っているのだろうか。
『目を見て話しなさい』というのは自分の話を聞いて欲しいという願望でもあり、自分が満たされたいという気持ちでもあったりするのだと考える。

そもそも本音などは
なかなか目を見て話せなかったりする
目を見て話しなさいと言われたら
自分から進んで言ったのではなく
言わされた感の方が強いのではないだろうか

心を置き去りにされた本音は本音と呼べるのだろうか



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