まだまだ理解されていないゲーム依存症の裏側を考えていきたい。
先日このようなニュース記事を見た。
ゲーム依存症の講演会を精神科医が行っており、ゲーム1、2時間した子と時間制限してない子では学力の差が大きく違うといったニュースだった。
心理カウンセラーの僕としては違和感しか感じない。
なぜゲームを制限させるのか?
ゲームの制限は自身で自然とコントロール出来るようになっていきます。子供の頃からゲーム時間を規制する事は大人になってから規制する人物が居ないようになると逆に生活に支障をきたす程やってしまいます。
僕自身もゲームを長時間していて親に勉強しろ!とよく怒られたものです。

『ゲーム止めなさい』
『勉強しなさい』

そのように言われた子供はどう思うでしょうか。

『うるさいなぁ』
『もっとゲームしたいのに…』

そういった感情を抱きます。
でも中には

『確かにゲームばっかりしてたら社会人になれない』
『親が怒るから仕方がない…』

と考えたりする子もいるでしょう。

ゲーム時間を規制してる子としてない子では確かに学力は違ってくるかもしれません。
しかしゲームする事は悪い事だと断じてしまうのも多角的な考えが出来ていないとも言えます。
学力はテストの点数や偏差値など目に見えた利点がありますが、ゲームする事によって得られるものというのはなかなか確立されたものが表現するのも難しく弱いから、どうしてもゲームをしない人達にとっては子供達がゲームを長時間する事は悪しき事だと認識されてしまっているのではないかと感じます。
ここでゲームをする事によって生まれる利点を…
というのは他のカウンセラーさん達がしていそうだから敢えて書きません。
しかしなぜ精神科医の人達がゲーム依存症の危険を論じてくるのか不思議で仕方がないです。
心理カウンセラーの人達はだいたいゲーム時間は規制するべきてはないという回答が多いのではないかと思います。憶測ですが…
小さいながらも達成感、自己肯定力を上げたりできるものでもありますから、それを完全否定するという事はカウンセラーはまずしないと思いますね。完全否定してしまうのは洗脳教育に近いものになってしまうでしょうし。

僕としては着目していきたいところは、ゲームを長時間してはいけないという人らに着目していきたいと考えています。
実際のところ影響力がある人達の心理のよってゲーム依存症というものが生み出されたものではないでしょうか。

『子供達の事を思って』
『子供達の未来の為に』

そのような思慮があるのかもしれません。
幸せを願うが為にゲーム時間を規制するべきと考える人達がいるんだと思います。
未来の幸せというのは今が幸せでなかったら、そう作れるものではありません。

ゲームというのは一種の心の逃げ道でもあり、それを規制してしまうというのは精神崩壊に向かってしまう危ない事でもあります。
特に人間関係にトラブルが生じた時など安らげる場所でもあったりします。

ゲーム依存症というのはゲームを長時間してしまう精神病というのは間違いで、今人間関係につまづいていて立ち直れないでいるというのが本質だと言えるでしょう。

些細な温かい言葉が人を立ち直させたりします。
自分が進んだ道を相手を押し付けてはいけません。
普通と言われる人達の人生に辿り着けなくてもいいんです。
自分なりの人生を歩んでもらったらいいんです。