自衛隊の護衛艦にサヨク界隈

 意味不明な難癖を付けて周囲絶句 

     そんな所にしか文句をいえないのか

 

帝国海軍が復活!? 

  近ごろ海上自衛隊の艦艇名がやけに

            勇ましくなってはいなニカ。  

 

自衛艦の花形である護衛艦。

現在、最大の護衛艦は基準排水量19500トンの

ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)「いずも」型で、形状から

「ヘリ空母」とも呼ばれている。

同型艦で2017年に就役した新鋭艦は「かが」。

ミリタリーファンなら、すぐ思い出すのが帝国海軍の空母「加賀」だろう。

主力空母として真珠湾攻撃にも参加。最後はミッドウェー海戦

で沈没している。


 

 

同じDDHに、2009年に就役した

「ひゅうが」と同型艦「いせ」がある。

これも帝国海軍の戦艦「伊勢」「日向」の名前を継いだもの。

この二艦はもともと戦艦であったが、後部の主砲を取り払い

飛行甲板を設置したため、航空戦艦と呼ばれた。

「いせ」「ひゅうが」は、海上自衛隊としては初めて全通甲板を

備えたため、空母にしか見えない。

そんな艦艇に命名するに当って、戦前の二艦を意識しなかった

といえばウソだろう。

このように、近年、海自の艦艇には

帝国海軍の戦艦の名前が復活している。

 

自衛艦の名前は進水時に付けられる。紹介した中で最初に

進水したのは「ひゅうが」で、第一次安倍政権下のことである

帝国海軍をほぼ踏襲

じつは、海自艦艇の命名法は、帝国海軍をほぼ踏襲してきた。帝国海軍では

・駆逐艦→天象・気象など(「秋月」「汐風」)
・巡洋艦→山岳、河川(「愛宕」「矢矧」)
・戦艦→旧国名(「大和」「武蔵」)
・空母→瑞祥動物の名(「飛龍」「瑞鶴」)

というルールで命名した。

空母「加賀」は、もともと戦艦として計画されたものが

途中で空母に変更されたので、旧国名のままなのである

(有名な空母「赤城」も、もともとは巡洋戦艦として計画)。



名前が勇ましくなるだけならいいが……

現在の命名法は、昭和35年の防衛庁長官の訓令が根拠だが

護衛艦はひとまとめに「天象・気象、山岳、河川、地方の名」

とされたため、実際には帝国海軍と同様、駆逐艦相当の

小型の護衛艦には天象・気象から「むらさめ(村雨)」など

巡洋艦相当の大型の護衛艦(イージス艦など)には山岳名

から「ちょうかい(鳥海)」などと付けてきた。

このルールで行くと、もはや戦艦という艦種が存在しない以上

旧国名は登場しないはずだった。

ところが、「ひゅうが」で旧国名が「地方の名」として復活すると

次々とかつての戦艦や空母の名前が付けられているのだ。

ちなみに、帝国海軍で潜水艦は「伊十二」のように

等級によって「伊」「呂」「波」で命名された。

 

海自では、訓令で「海象、水中動物の名」となったが

水中動物の名は付けられたことがなく、「なだしお」など

「海象」の名が付けられてきた。

 

ところが、訓令が2007年11月に改正され、「ずい祥動物の名」

が加えられたことで、「そうりゅう(蒼龍)」が登場した。

帝国海軍の「蒼龍」は同型艦の「飛龍」とともに活躍した

主力空母である。

名前が勇ましくなるだけならいいが、帝国海軍の主力艦の

ほとんどが、沈没、または空襲で大破、着底するなどして

使い物にならなくなったことをお忘れではないか。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190406-

00010738-bunshun-soci

  だからどうだっていうんだ

 

★帝国海軍戦艦一覧★
艦名 新造年 主缶の入換え 主機の入換え 排水量 出力 速力
金剛 1913年 1937年 1937年 36,314t 136,000shp 30.3kt 

→イージス艦こんごう型一番鑑
比叡 1914年 1939年 1939年 37,000t 136,000shp 29.7kt 

→前へり搭載護衛鑑はるな型二番鑑
榛名 1914年 1934年 1934年 35,600t 136,000shp 30.0kt 

→前へり搭載護衛鑑はるな型一番鑑
霧島 1915年 1937年 1937年 36,668t 136,000shp 29.8kt 

→イージス艦こんごう型二番鑑
扶桑 1915年 1935年 1935年 39,154t 82,000shp 24.5kt 

→なし
山城 1917年 1935年 1935年 43,580t 82,000shp 24.5kt 

→なし
伊勢 1917年 1936年 1936年 40,169t 81,360shp 25.2kt 

→空母型護衛艦ひゅうが型二番鑑
日向 1918年 1937年 1937年 40,706t 81,050shp 25.2kt 

→空母型護衛艦ひゅうが型一番鑑
長門 1920年 1936年 無し 43,580t 82,000shp 24.3kt 

→なし
陸奥 1921年 1936年 無し 43,400t 82,000shp 25.2kt 

→原子力船むつ
大和 1941年 無し 無し 68,200t 150,000shp 27.0kt  

→なし
武蔵 1942年 無し 無し 68,200t 150,000shp 27.0kt  

→なし
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★帝国海軍空母一覧★  ※一部
赤城→なし
加賀→空母型護衛艦いずも型二番鑑
蒼龍→そうりゅう型潜水艦一番鑑
飛龍→なし
翔鶴→なし
瑞鶴→なし
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★帝国海軍重巡洋艦一覧★  ※一部
高雄→なし
愛宕→イージス艦あたご型一番艦
鳥海→イージス艦こんごう型四番艦
摩耶→イージス艦まや型一番艦
妙高→イージス艦こんごう型三番艦
那智→なし
足柄→イージス艦あたご型二番艦

羽黒→なし

 

74年前の今日

              史上最大の戦艦大和が沈没

 

旧日本海軍が建造した

史上最大の戦艦「大和」が沈没して74年を迎えた7日

広島県呉市の長迫公園(旧海軍墓地)で追悼式が行われた。

元乗組員や遺族、海上自衛隊の関係者ら約400人が参加し

戦死した乗組員に黙とうをささげ、「戦艦大和戦死者之碑」に

献花した。

 

大和は1945年4月7日

水上特攻で沖縄へ向かう途中、鹿児島県沖で米艦載機の

攻撃を受け、沈没した。大和ミュージアムによると

乗員3332人のうち、3056人が艦と運命を共にした。