ところでいつも私は

「大祓詞」をどういう風に発するのが正解かも分からないまま

ただやみくもに、神棚や神社で自己流で奏上してきました。

はじめのうちは、まず間違えないように読むのに精一杯で、だんだん慣れてきてハッキリキッパリ発音するようになってくると

何かがおかしい…
そうじゃない…と

どこかに気持ち悪さというか
違和感を感じるようになってきていたの。

で、ある時に一度

なりゆきで美輪明宏さんみたいに
ビブラートをかけて低くやってみたら

これがスゴく
空間に作用しているのが分かって


良いじゃん~!と思ってたんだけど


何しろ正解が分からなかったから
いくら良いじゃん~って思っても

こんな自己流の奏上の仕方したら
なんか恥ずかしい痛いヤツかもと思ってた今日この頃。


それがこの本で
一挙に解決してスッキリ~。




理解が深まるようにするためか、西洋音楽の歴史から始まって200ページほど前置きがあったけど ( 長かった!笑 )

ロジカルで分かりやすい語り口だったので

私でも何とか
ラストのキモまでたどり着けました。



==以下少し抜粋します==

明治以降の西洋式の音楽教育により、豊穣な倍音を持ったザラついた歌い方はダメで、透明な音で歌うことが良く、また、音の揺れが悪 (音痴) という価値観が植え付けられた。

宗教家の出口王仁三郎の祝詞の録音が残っている。それを聞くと、祝詞などは、かつては、豊穣な倍音を持った歌い方で、激しく揺らすスタイルでおこなわれてきたことがわかる。

これに比較すると
現在は一本調子の棒読みだ。

日本古式の音楽の美学では、こうした一本調子、棒読みは最も忌避してきたものだ。

なぜならこうした音揺れのない発声法では
「天地や鬼神の心を動かす言霊」とはならないからだ。

これでは、どんなにありがたいマントラ、祝詞、聖句などを発しても、呪力を持ったものにはならない。

神歌の民族であった日本人が、そのことを忘れているのだ。

日本人にとって歌とは、一対一で目の前に対峙している宇宙(大自然)と自分を一体化させるための極めてプライベートな道具なのである。

古い時代ほど、この点が全面に出てくる。

自分を含めた人間のために歌うというより、大自然、宇宙に、歌を放つという意識が強いのである。

日本人の歌に対する価値観を取り戻し、ひとりで好きなように、ザラついたダミ声でも、音を大きくはずしてもかまわないから、自由奔放に、大いに音を揺らして歌ってみよう。

そのことで、宇宙につながる不思議な感覚を得られるであろう。


==抜粋ここまで==



結論!

自然にたどり着いた美輪明宏さん風な低ビブラートだったけど、恥ずかしがる事はなかった~。

良かった。

堂々と気持ち良く、独自に音を宇宙に発していこう~。