戦のあとには烏が哭く | まつすぐな道でさみしい (改)

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ジョーサン道の正統後継者。

師匠は訳あって終身刑で服役中…

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 いやはや凄まじい戦いだった…

 P.K.というひとつのフィニッシュホールドの解釈を巡り、次々と襲い掛かる界隈の者たちの波状攻撃!

 果たして私は、彼らを満足させる返しを出来たのであろうか?

 この一点に関しては私の判断するところでは無いのでなんとも言えないのだが、ただひとつ言えることは、私は彼らの攻撃をすべて真正面から受け止め心身共に傷付きボロボになるまで戦った。


 そもそも同じプロレスファンで在りながら、何故このようなイデオロギー闘争が度々勃発してしまうのか?

  思いを巡らせるとおのずと答えは見えて来る。

 私がプロレスファンとして生を受けた70年代とは、日本の歴史に例えるなら265年にも及び泰平の世が続いた江戸時代のようなものだったのだろう。
 
 当然、この時代からプロレスに対する風当たりは強く、八百長だ何だとの批判的意見を浴びることは現在と比べても格段に多かったことは事実なのだが、如何せん日本でプロレス以外のプロ格闘技といえば、ボクシングやキックなどの軽量級がメイン(大相撲は別格として)で、オマケに立ち技というジャンルの違いも有り、事実上の脅威となる存在では無かった。

 そして何よりも、プロレス界最大のファンタジーとも呼ばれるあの男の存在があったことも幸いし、いざとなれば『じゃーアンドレとやっても勝てるのか?』という切り札が存在した。

 



そして彼らの(プロレスファンとして)生を受けたという、00年代といえばアンドレという魔法を失ったプロレス界は、レスラーが自らの身を削ることで観客にアピールし、オマケにK-1PRIDEなどの重量級格闘技が政権を脅かすなか、鳥羽伏見の戦いさながら、プロレス界の総大将が敵前逃亡どころか、相手方に寝返ってしまうという絶望的な時代で有り、この時代に生を受けた者(いくさの子)との思想的相違は致し方の無い物だと言える。



 私に言わせれば、格闘技と一括りに言ったところで、UFCPRIDEですら肘有り・肘なしなど、細かなルールの差が有り、例え同じカードを組んだところで、そのルール次第で勝者は変わって来るのだから、やはり似て非なる物と言え、最強などという物はそのルールの中での最強を争えば良いのだと思っているのだが、総大将が敵方に寝返り、幾多のレスラーが大政奉還のための生贄にされ、『プロレスラーがまた負けた』などと声高に吹聴されていた時代。

 こんな時代に生まれたいくさの子にとって、そのような屁理屈は到底受け入れられる物では無いだろう。



 結果的に3対1というハンディキャップもあり、一方的に攻め続けられた私は、深傷を負いながらも何とか帰路に着こうとした道すがら、Twitterというフィールドでナイフボーイが捕獲されているのを見掛け咄嗟に身を潜める。


 落武者狩りか?

 

 やべーな、P.K.戦争に触発されて、爆殺シューターの語り部まで出張って来やがった。

 何なんだよ、この禅問答のようなやり取りは?

 オマケに問いも答えも漫画なんて、2人ともヤベー薬キメて逝っちゃってるに違いねえ…



 兎に角こんな連中には関わらねぇのが一番だと、そっと脇を通り過ぎようとした刹那、ガッツリと襟首を掴まれる。





 結局アレか?

 このオッサンは、P.K.だ、格闘技だってやり散らかしたママにしてねぇで、しっかりと総括して終わりにしろって言いたいんだな!


 まずは、格闘技に於けるルールとは何かって言うことから考えなくてはなるまい。

 ただ野蛮な殴り合うだけの喧嘩にルールを設けることによってスポーツとして成立させ、如何にして観客の興味をそそり集客に繋げるかを追求したロジックであり、エキサイティングでスリリングなシーンを演出する為に各競技、各流派がしのぎを削り練り上げられた物が格闘技のルールと言えるだろう。

 そしてプロレスにはプロレスのロジックが有り、例え100キロ200キロの巨体が降って来たとしても決してよけることをヨシとせず、相手の技は全て真正面から受け切る! という、たかだか2、3キロの体重差で有利だとか不利だとか、ギャーギャー大騒ぎしているような格闘家には、到底真似出来ない芸当をやってのける凄みがプロレスラーなんだよ!








 柳澤健の講演会なんかにくっ付いて行って、『PRIDEの舞台でプロレスラーの弱さが証明された』なんて吹聴して回るような三下芸人は、2度とプロレスファンだなんて名乗るんじゃねえぞ! ってこと。


 






以上!