このソビエト経由欧州行きの旅は、船と鉄道か飛行機(ソビエト国内)を乗り継いで行くものでした。


 船は5000トン級の貨客船で、二隻を交代で運用していたようです。私の乗った船は、ハバロフスク号という船でした。私の時は横浜からでしたが、後には新潟からも出ていたようです。もちろん、今はこの様な旅は出来ないのでしょうね・・・・


 出発の二・三日前に、当時、東京の王子にいた叔父の家に泊めてもらいました。金沢の実家の周りでもそうでしたが、私を知る多くの人が一人旅で欧州なんて危険だから止めるようにと説得しようと一生懸命でした。


 中には、泣きながら餞別を下さる方もおられたのです(笑)


 当時はツアー旅行のジャルパックが大変人気な頃で、日本人の団体旅行が盛んでしたが、まだまだ欧州は誰でも行ける所ではありませんでした。そこへ一人で行く事自体が恐ろしい事だったようです。ましてや、共産圏のソビエトを通りながら・・・・・


 出発の前日の夕方、叔父の家から京浜東北線に乗り関内まで一人で行きました。荷物は大きなリュックサックと、カメラの入ったショルダーバックでした。当時、風景写真に興味がありアサヒペンタックスSPというカメラと交換レンズを幾つも持ち、かなり重たいバックになっていました。


 横浜や王子も初めてで、よく電車で一人で行けたものだと思います。これが出来なければ、欧州なんて到底無理でしたが・・・・(笑)