長野市の津野にある妙笑寺さん(曹洞宗)と飯山藩・長沼藩両佐久間家に家老として仕えた小原家とは深い所縁があります。

 

 小原家の初代・小原作左衛門久重は、飯山佐久間家に仕えていた人物で、我が家の先祖・佐久間安政の一族と伝わります。

 

 その名に「久」の一字が付いていますので、我が家と血の繋がりがあるのではないかと思っています。吉原と小原という名にもそれが感じられます。家紋は我が家は佐久間家と同じ「丸の内三つ引き両」、小原家の当時の家紋は「丸の内小の字」だったそうです。

 

 初代・久重は、飯山藩の飛び地であった近江高島(滋賀県高島市)で代官を勤めます。寛永十五年の飯山佐久間家改易後に高島の今津に曹沢寺を建立して、そこの住持として一生を終えました。

 

 その子である作左衛門政信は、長沼佐久間家に仕え信州長沼(長野県長野市穂保)に移ります。万治四年(1664)三月、津野にあった妙笑寺に御本尊を寄贈して、亡き父母と子の供養をしたのです。

 

 その後も大壇越としてお寺と深い関係が続き、寛文八年(1668)八月に亡くなりました。その墓は今も妙笑寺に現存します。

 

 その小原家の御子孫が、昨年の十月に妙笑寺で先祖の供養法事を行いました。私は行かれませんでしたが、地元に残る長沼藩家老の山口家御子孫や、近江高島で長沼藩代官を勤めていた岩佐家の御子孫も参加されました。

 

 その席で地元で小原家の墓守をされている方ともお会いになったそうですが、その方の御先祖には小原家から嫁に入られた方もおられたという事実が判り、お互いに驚き感動したそうです。

 

 佐久間家を介した縁が、四百年を経た今も続く事になりました。