長沼藩佐久間家に仕え、飛び地の近江高島の浜分(はまぶん)の代官を勤めた家が岩佐家です。現在の滋賀県高島市今津町浜分の地に代官所がありました。

 

 岩佐家は、近江源氏の佐々木三郎兵衛尉盛綱の孫にあたる岩上五郎秀信の子であった、岩佐太郎右衛門信光が家祖と伝わります。

 

 永正年間に浜分に土着した信光の孫の広仲は、そこに飛び地を持っていた若狭小浜の京極高次に仕えて、大坂ノ陣の折に徳川秀忠の下で手柄を立てたそうです。

 

 その後、京極氏の国替えに伴い、新しい小浜藩主となった酒井忠勝に仕えます。

 

 寛永二年(1625)、長沼藩主・佐久間勝之は、飛び地となっていた高島の地の支配を広仲の子である広斉に任せました。また、その子・光次を長沼藩家老職としたのです。

 

 その次の光伯も佐久間家に仕えていましたが、元禄元年(1688)、長沼佐久間家が断絶し、天領となった後もその代官に仕えたそうです。

 

 小原家の御子孫同様、その岩佐家の御子孫とも数年前にお会いする事が出来、親しい交流が続いております。

 

 皆さんには、飯山の先祖たちの位牌新調の折に大変お力を頂きました。永いご縁に感謝しております。