源氏物語イラスト訳【紅葉賀159】内侍=源典侍
内侍は、なままばゆけれど、憎からぬ人ゆゑは、濡れ衣をだに着まほしがるたぐひもあなればにや、いたうもあらがひきこえさせず。
【これまでのあらすじ】
桐壺帝の第二皇子として生まれた光源氏でしたが、源氏姓を賜り、臣下に降ります。亡き母の面影を追い求め、恋に渇望した光源氏は、父帝の妃である藤壺宮と不義密通に及び、懐妊させてしまいます。
光源氏18歳冬。藤壺宮は、光源氏との不義密通の御子を出産しました。源氏は宮中の女官に手を出すこともなかったのですが、年増の源典侍(げんのないしのすけ)には少し興味を持って、ちょっかいを出しています。
源氏物語イラスト訳
内侍は、なままばゆけれど、
訳)源典侍は、いくらかきまりの悪い気がするけれど、
憎からぬ人ゆゑは、濡れ衣をだに着まほしがるたぐひもあなればにや、
訳)憎からず思う人のためならば、濡衣をさえ着たがる連中もいるそうだからであろうか、
いたうもあらがひきこえさせず。
訳)それほども否定申し上げない。
【古文】
内侍は、なままばゆけれど、憎からぬ人ゆゑは、濡れ衣をだに着まほしがるたぐひもあなればにや、いたうもあらがひきこえさせず。
【訳】
源典侍は、いくらかきまりの悪い気がするけれど、憎からず思う人のためならば、濡衣をさえ着たがる連中もいるそうだからであろうか、それほども否定申し上げない。
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■【内侍(ないし)】…内侍司(ないしのつかさ)に所属する女官。ここでは源典侍(げんのないしのすけ)のこと
■【は】…取り立ての係助詞
■【なま~】…いくらか、なんとなく(接頭語)
■【まばゆけれ】…ク活用形容詞「まばゆし」已然形
※【まばゆし】…きまり悪い。はずかしい
■【ど】…逆接の接続助詞
■【憎から】…ク活用形容詞「にくし」未然形
■【ぬ】…打消の助動詞「ず」連体形
■【人】…思い人。ここでは源氏をさす
■【ゆゑ(故)】…~のため
■【は】…強意(順接仮定条件)の係助詞
■【濡れ衣(ぬれぎぬ)】…ぬれた衣服。転じて、無実の罪。根拠のないうわさ。事実無根の浮き名。汚名
※【憎からぬ人ゆゑは濡れ衣をだに着まほしがる類】…古今六帖「憎からぬ人の着すなる濡衣はいとひがたくも思ほゆるかな」、または、後撰集「憎からぬ人の着せけむ濡れ衣は思ひにあへず今乾きなむ」の引き歌
■【だに】…類推の副助詞
■【着】…カ行上一段動詞「着る」未然形
■【まほしがる】…~したがる
※【まほし】…希望の助動詞
※【―がる】…動詞化させる接尾語
■【たぐひ(類)】…連中。例
■【も】…強意の係助詞
■【あれ】…ラ変動詞「あり」已然形
■【ば】…順接確定条件の接続助詞
■【にや】…~であろうか
※【に】…断定の助動詞「なり」連用形
※【や】…疑問の係助詞
■【いたう~ず】…それほど~ない
■【も】…強意の係助詞
■【あらがふ】…否定する
■【きこえさせ】…サ行下二段動詞「きこえさす」未然形
※【きこえさす】…謙譲の補助動詞(作者⇒帝)
■【ず】…打消の助動詞「ず」終止形
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ふだん、わたしたちが何気なく使っていることば。
「濡れ衣」なんていうのも、なぜそれが「身に覚えのない汚名」の意味で用いるのかも分からず、「それは濡れ衣だ!」などと叫んでいる人が、なんと多いことか――。
「濡れ衣」の語源は諸説あるようですが、
今回の『源氏物語』を読むと、このような「引き歌」から派生して広がっていったんじゃないかという気がします。
「憎からぬ人の着すなる濡衣はいとひがたくも思ほゆるかな(古今六帖=平安時代の私撰和歌集)」
「いとひがたく」というのは、「厭ひ難く」と、「いと干(ひ)難く」との掛詞です。憎からず思う恋人が着せた「濡れ衣」なので、厭に思うことができない、もちろん、「濡れ衣」なので乾き(=干)にくいってわけですね。
また、『後撰和歌集』には、このような相聞歌が載っています。
①「目も見えず涙の雨の時雨(しぐ)るれば身の濡れ衣は干るよしもなし(小野好古)」
②「憎からぬ人の着せけむ濡れ衣は思ひにあへず今乾きなむ(中将内侍)」
小野好古(おののよしふる)が、元の妻であった中将内侍に浮気を疑われたときに詠んだのが①の歌。
①「あなたに疑われた悲しみの涙が目が見えないほど出るので、 濡れ衣は乾かす方法もないよ」
それに対し、中将内侍は、
②「憎からず思う女性が着せたとかいう濡れ衣は、あなたの思いの火に堪えられず、今にきっと乾くでしょう」 と返しています。
「思ひ」は、和歌修辞あるあるの「思ひ」と「火」との掛詞。また、①②どちらも、「濡れ衣」に関連深い「時雨」や「涙」、「干る」や「乾く」などの縁語を用いて、濡れ衣のじっとり感を印象づけています。
昔から歌に詠まれたり伝承されたりしてきた「濡れ衣」のニュアンス。こういう「引き歌」から、「濡れ衣」ということばだけがひとり歩きしたんでしょうか。
平安時代は、それでも元歌を念頭に置いて引かれていたため、「濡れ衣」のじっとり感や「干る」「乾く」との対比構造も含めて、話し手も聞き手も味わうことができたと思いますが、
現在では、「濡れ衣」ということばだけが、なぜか「いわれのない罪」という意味で使われている。
古典を学ぶ意義って、こういうところにあるんじゃないかって思います。
分からないままに、何気なく、表面的に言葉を用いる人と、その言葉のもつ重みを、じっくり噛みしめながら用いる人とでは、入ってくる深みも、ぜんぜん違いますよね。
YouTubeにもちょっとずつ「イラスト訳」の動画をあげています。
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