すみません、最初に謝っておきます。
協力者(クラウドファンディングのかたやスタッフ様など)には感謝の気持ちしかありません。
そんな方々に水をさすようなタイトル、お許し下さい。
遠いところ、試写会まで足をお運びいただいたり、
「微力ながら」と大切なお金を協力費として捻出していただいたり。
心から感謝しています。
それでも、
役者として、今回の作品については主に原案としての私には、
ただ、悔しい。不満しかない。(作品だけに対する、本当に素直な感想)
もちろん、色んな人に協力していただいたこと
こんな何でもない無名の役者・タレントである愛葉るびに
原案や脚本、オーディション、現場での演出など
偉そうな立場で意見を言わせてもらえたこと、
演出やセリフなどの監修をやらせていただいたこと、
貴重な経験をやらせていただいたことは
身に余る光栄でございます。
主演キャストや協力者の方の映画の完成品を見ての楽しそうな雰囲気に
水を差すような発言は、誰も幸せにしないのはわかっています。
それでも、
「ま、いっか。たくさんのご縁をいただいたし、できない経験たくさん出来たし」と
心から笑うことが出来ません。
何が一番いいたいかというと、
作品に不満があるのではなく、
私は作品に対する不満が処理できないくらい、
作品に真剣に取り組んでいたということです。
2019年5月25日 試写会
何度かもう少し完成形前のものを原案・潤色である立場から見させてもらいましたが、
やはり、
「もっとすべての現場に顔を出せてたら」
「役者として作品作りに参加したなら、役者として真剣に向かってもらえていたら」
「もうこのキャスト、製作期間、費用、での限界がこれなのか」
など同じ感想をより強く感じてしまいました。
本当に多々思うことがあり、ただただ悔しい気持ちが残ってしまいました。
伝えたいテーマ、本当の問題点、伝えたかった本当の恐怖
限られた時間やキャストだけで難しいかも知れないセリフのニュアンスを伝える、
相当演技力が必要な細かいニュアンス、
無理なのはわかっていた。
何も芝居について学ぶ気のない姿勢もわかっていた
でも、作品に参加するなら、
全力で役者として関わって欲しかった。
むしろ役者さんには役者として悔しがって欲しかった。
指示も聞いて欲しかったし、
せめてわからないなりに、どういう心理や状況をシーンごとに描こうとしているのか、
映画で描かれていない関係性を
3時間かけて話した真実の話から組とった上で、台本のシーンを演じて欲しかった。
今まで私は、100%役者側だったので
完成した台本をいただき、それを演じる、ということしかしたことがありません。
今回は、原案(実体験のストーリー)が確固としてあり、
精神的にも肉体的にも地獄のような日々で過ごしたあの頃の
苦しさを、1ミリでもいいから使えたかったし、
DVシーンを激しく見せたいわけでもなく、
本当の恐怖はおかしいと思わないまま主従関係の中に組み込まれ、
思考能力もなくなってしまうこと。
絶望を感じていく、心も肉体も消耗していく、
何が当たり前の状況なのかがわからなくなる。
これをちゃんと描きたかった。
私は、いただいた台本の役者としての作品(DVD)にも
自分の芝居に満足しているものはありません。
いくらでも自分のアラが、出来ていないところが見つかるし、
「こういうニュアンスでセリフを言えばよかった」「目線の動きが意識できていない」
自分じゃない方の本でも、
自分の芝居や仕事に満足している(ある程度妥協して結果OKにしよう、という作品以外の要素を入れて納得することを除いて)ことはない。
ただ、本気で取り組んでたから、
本気で芝居に、作品作りに参加していたから、できなかったことに「死ぬほど悔しい」と思うんだと思う。
今回は
私の2年ほどの地獄の心境や膨大なエピソードから
短編にまとめるためにかいつまんだエピソードやセリフ。
本気ですべてのストーリーを踏まえている役者はなく
そもそも役者としてではなく、1つの仕事としてしかと捉えていない役者でもない人、
スケジュールの都合で何か所か立ち会えなかったシーン。
それが特に絶望的で、
出来上がりの芝居のニュアンスが違う、伝えたかった心の葛藤や、追い詰められていく心に助けを呼べない心理、
ただ、ふわっと歩いてたら年上の彼ができて、その人がちょっと頭おかしくて、
浮気して、でもそれはもういいや~☆って脅されて、って
正直何を伝えたいの?
何故惹かれた?
何故謝る?
何故殴らせる?
何故もう一人の彼はさる?
何故別れられない?
何故彼はそこまで激高するのか?
何も描かれていない
いや、何も伝えられていない
でも、もう仕方ない。
最初から、私が出来ないこと(重要なキャスティング)は決まっていた。
出来る限界も決まっていた。(予算、スタッフ、機材、私の立ち合い日数)
私はあくまで原案。
それでも何年も地獄の中にた苦しさはずっと癒えない、
記憶からいなくなってくれることはない、
どれだけ、他人である一人の人間に
自分の人生を壊され、精神を操られ、
死ぬ思いで逃げ出してきたのか、
その後遺症にそれほど苦しんだか。
私は、それを充分に映像化するための
資金も、キャスティング能力もなければ
編集や技術もない。
ひとの手にわたったものは仕方ないこと。
それでも、真剣に作品に携わってきたから
とてもとてもとても悔しい。
和気あいあいの現場も人間性もいらない
「とにかく作品として最高の芝居ができて完成しているもの」
それが全て、
だから自分の役者としての作品には満足しているものはなく、
こうしたらよかった、などの後悔/反省が残る。
作品の自分の演技に不満を持つ、自分の作品を見て後悔(芝居など)することは
モノづくりに携わった人たちにとっても失礼ではないと思う。
とにかく、裏で何があろうと
公私混同されようと、
作品として面白いものが出来る、最高のものが出来る、
それが1番作品に携わる人への敬意だとおもう。
それでに、今回のクラウドファンディングも
たくさんのお返しを完成後にするよりも大切なことは
「最高の演技をして、見た人に
最恐の嫌悪感や恐怖を感じるほど、マインドコントロールされている過程の異常さを伝えること」
と、私は思う。
はい、「予算ないから」、ってなんか何度も撮りなおせるわけにもなく、
「あのセリフの意図が全然違う、あの言い方では意味が変わってしまう」を役者に伝えることも今さらできず
芝居できるキャストを総入れ替えするわけにいかず、
もう、良かったことだけ(つながった縁や経験値)に目を向けて忘れたい。
とにかく悔しい。
純粋に作品や実体験に興味を持ってくださった方に
映画はあくまで切り口と思って、全部お話して全国回りたい。
ある程度は、役者ではないのだから、
芝居できないことも、芝居を学ぶ気もないこともわかっていた、なのに
何故こんなに悔しくて不満なのだろう。
それだけ私は、この作品をちゃんとした意味で、
ちゃんとしたメッセージを届けたかったんだと思う。
作品や仕事に真剣に取り組めば取り組み
妥協を出来ず意見を言ってしまうほど
「めんどうくさい」「扱いにくい」そうやって人は離れていく。
力がない、力のある人の決定に逆らえない、
お金がなくてできないことが多すぎる、
演者がまじで作品に込めたい私の意向を読み取ろうとしない
昔から、ただ適当に使われて、
何か書いたものや企画したものを「???}な状態で間違ったように広められて、
そういうのいちいち本心を言っていたら
「めんどくさい」「うるさい」「生意気」と言われるだけ。
ひととモノを作るのは難しい。
特に、この実体験をもとにした社会に問題提起したいという話になると、
口頭で、私の心情や置かれていた恐怖や地獄を
顔合わせのみでくみ取って(質問受付中でも質問してくるのは主要な人意外)
それを踏まえて芝居をしてくれるキャストなんて集められないし。
ただただ。伝えたいテーマが伝わらない、
心理的に追いつめられていく描写を1番描きたいのに
1番それが出来でいない。
悔しい。
あくまで、作品をみての感想で、
キャストさんやスタッフさんの人間性まるごと批判してるわけではありません。
もちろん裏でも色々ありましたが、
そんな嫌なやつでも最高の芝居を画面の中にしてくれていたら私にとっての最高の役者です。
逆にどんなに性格がよくて、優しい子でも、画面の中の芝居がダメなら、
最悪の役者だと思う。
演技のことを考えることも反省することもしないのは、それは役者ですらない。
ただ呼ばれてきただけの偶像。
良い芝居を作品の中でできるかどうか、
でもそれが映画を作ること、だと思う。
時間の都合で、何でそういう展開?という
かいつまんだエピソードを無理に繋げないといけない脚本にも悔しい思いはたくさんある。
でも全部
私の力不足であり、仕方のないこと。
それでも、当時が死ぬほど苦しかった分、
今回作品に対して死ぬほど真剣だった分
正直、不満しかない。
でも私の手を離れたストーリー。
私のは1個人の感想。
吐き出したらもう忘れよう。
他人に委ねたのだから。
(こういう自分の強い気持ちも何年も言わないようにしてきたのに・・・・・・・
言っても敵を作るだけ・・・・)
最後にもなりますが、
クラウドファンディング、スタッフさん、協力者の方には
本当に感謝の気持ちしかありません。
それが伝わらないとしたら悲しいです。
またどこかで、ここでは言えない映画に対する真意、
短編映画では表現しきれていない部分や描けていないエピソードについて
お話する機会があれば幸いです。