このアパートに移り住んで丸4年。

向かいの公園に並ぶ胡桃の木の実を

今年初めて拾った。


木々のセンテイ回数が今年1回から2回になり、丸裸にされなくなったからか

子供が出来て公園をうろつく様になったからか…

初めて拾った、たった5,6個の胡桃を

今もまだ干したまま

いつ割ろうかと時期を伺っている。


胡桃には思い入れがある。

今もまだ胡桃を見る度に胸にきゅっと何かが滲む。


私が10歳まで育った家は
曾祖父母が母を育てた家でもあり

となりのトトロのサツキとメイの家

……のグレードを落とした様な家でもあった家


木々に鬱蒼と囲まれ、入口は道からほぼドブ川に近い川に橋げたが掛かかり

その先の沢山の木々や植物のアーチを抜けて

オンボロの平屋がある家

どの位オンボロかというと

野ネズミが住み着き、夜には

ドドドドドーッビックリマークビックリマーク

と天井裏を走り回り、

私達親子は川の字に布団に入りながら毎夜

「ネズミの運動会が始まったね」

と、オヤスミの代わりに言ったものだ。

便所はボットンで母はキレイにしてはいたが

よく便所コオロギが出た澈

ゾンビを観た夜は勿論トイレには行けないし

あの汚物の中からゾンビがわいて来て尻を喰われるんじゃないかと

頭の中がいっぱいで眠れなくすらさせる

そんな『お便所』だった瀇


お風呂は台所を一度外に出た先にあるが

すでに機能しないので

へらぶな釣り協会所属の父が自慢のへら鮒を浴槽に放流淏

なのでお風呂は近所の親戚の家へ入りに行っていた。


そんな木々に囲まれたオンボロ家は勿論、周りからは

『お化け屋敷』と呼ばれていたが

私はこの家と庭が大好きだったキラキラ


曾祖父母が植えた沢山の木々や植物は季節毎に色や形や匂いを変え

沢山の虫や鳥達を見せ

私に尽きる事のない遊びを学ばせてくれたキラキラ


今思えば、ペット達と同じ位に木々や植物は

私にとってかけがえのない友達だったのかもしれない焄

母が生まれた時に曾祖父母が植えた三本の杉キラキラ

いつも小鳥が突くヒメリンゴとその裾に生えるアスパラガスキラキラ

いつも裏庭への道の大きな蜘蛛の巣作りを手伝う大きなオンコの木キラキラ

入口のグスベリーや水仙や紅葉、町内会長がよく採りに来たドクダミキラキラ

『日本むかし話』のリュウに見えた、二股に別れた松キラキラ

登って揺らし過ぎたせいで…折ってしまった淸

よく虫の付く栗の木と

その隣の大きな大きな

胡桃の木キラキラ

まるで我が家の敷地の
『ヌシ』だったキラキラ

抱き着くと何だか温かくて、とても安心した焄

夏が終わる頃には沢山の実を私達家族にプレゼントしてくれるキラキラ

鼻血が出る程食べたし、オモチャにもなったキラキラ


ある日、育ち過ぎた枝が電線に絡み

火を吹いた瀨

消防署の人達が容赦なく枝を刈っているのを見て

「お願いだからそんなに切らないでーっビックリマークビックリマーク

私は泣き叫び、悪いのは電線を張った大人だと怒り狂った汗

あの時初めて、大人なんて勝手で大嫌いだと思った事を今でもハッキリと覚えている。

幼い私は、とても傷ついた淸


そんな気持ちに追い撃ちをかける様に

道路を広げるという理由で

胡桃の木は切られてしまった。

切られた時の事は覚えていない。

ただ

後に残った切り株を見ては何度も泣いていたのは覚えている。

胡桃以外にも栗やグズベリーやその他の木々達も切られ、

オンボロ家は道から丸裸になり

土地自体にも、まるで生気が無くなった様に思えた淸

その後、間もなく

同じ理由で家も無くなった。


沢山の木々達も姿を消し、後には狭くなり草っ原になった土地と

母と同じだけそこにいる三本の杉とオンコ、

ポツンと立っている、汲み上げ式の井戸。

広くなった道路。


暫くは近付けなかったが、飼っていた犬のチビの命日になると

決まって夜にドッグフードを持って三本の杉の下に会いに行ったキラキラ

チビは犬小屋のあった三本の杉の下に眠っている。

昼間だと全て無くなった事があからさますぎるので、私は夜に出向いていたが

実家を出て札幌で暮らしてからは私も大人になり

犬達を連れ昼間でも足を向け

三本の杉と井戸と土地が残っている事に安堵した焄



今年の5月末。

ややこが生まれ散歩で訪れたそこに

あの三本の杉はなかった。

心をもがれた気がした。


救いにも井戸だけはまだポツリと立っていたので

「昔ペンキ突っ込んだりしてごめんね」

昔の無礼を謝った。

親育てられ日誌-Image416.jpg


『ヌシ』だった胡桃の木のあった場所には

皮肉にも

街路樹として胡桃の木が植えられていた。

それも、今にも電線に絡みそうに。

親育てられ日誌-Image417.jpg


どうかいつまでもそこにいておくれキラキラ


そしてもうここへは来まいと心したが


八月に帰省した際

祖母の家を訪れ、家まで送ってくれた叔父が

イタズラにもその道を通ってくれた。

車から見えた流れる景色の中に飛び込んだのは

『売地』と書かれた看板だった。



駅から歩いて5分の駅前通り。

20年草っ原で残っていた方が不思議だ。


けれど心の奥では願っていた。

どうか そのままで…




10月

夕飯時に母から電話があった。

「御飯の支度してた!?

「いーや」と答えると

「…あのねぇ、さっき、じいちゃんとばあちゃんの土地の前通ったらね

基礎組まれてたさ…淸

井戸も無くなっちゃって…売れちゃったんだねぇ…」


あぁ…

聞きたくはなかった。


言葉にはしなかったが

『いつかまたあの場所に帰る』

それが私達親子の共通の夢だった様に思う。


20年経っても取り戻す力を持てなかった私達に

もう甘やかしていられないと

見切りを付けられた様にも思えた。





私達親子が夢破れた翌日

初雪が降った。


雨と風と雪が混じるソレは、まるで母や私の心模様だったが

その夜

汁けを全く絞っていない大根おろしの様な
一面に積もった初雪の上を犬達と散歩しながら

グチャグチャになった靴の音と

足の裏で感じる水分に

子供の頃の冬を思い出し

何だか妙に、清々しい気持ちになった。



こうやって 街 は 出来て行くんだ…


素直にそう思えた。


私達親子の様な想いをした人々は沢山いるだろう。

普段、何気なく歩くその道も

きっと色んな人々の想いが積み重なって

今のカタチがあるのだろう。


あの角の家だって誰かにとっては特別な場所だったかもしれない。


駅までの道のりだって

遠い昔は谷だったのかもしれない。


いつもの何気ない、ただの町も

沢山の人や木々や生き物の積み重ねの上にある。


歴史に名を残さない『マチ』にも

図り知れない歴史がある。



ルーツを辿ろうとは思わないが

大切な場所を失って初めて『歴史』を思い知った。



未練を絶つ時を

まるで大好きな人が結婚してしまったかの様に感じてしまう。




排泄をしながら、汁だく大根おろしな初雪を食べ、震える犬達に思わず笑ってしまったら

おセンチな気分もすっ飛んでしまったキラキラ



これで前へ進めるじゃないキラキラ



グチャグチャになった足も何故だか冷たく感じなかったキラキラ


犬達に救われた気がする。


心が軽くなった私は


まずは胡桃を割って食べてしまおうキラキラ


そう思い立ち


今更ながらに


ラジオペンチで胡桃を割った。



よーく干したはずなのに

何だか少し

渋い味がしたもみじ