風がゴォーゴォーと音をたてる。

気温が上がった昨日とは打って変わって吹雪。


窓に張り付いた雪にその結晶を楽しむ。


窓に伝わる室内の温度でそれはすぐに姿を変えてしまう。


結晶は沢山の事を物語る。


それは言葉では語れない音楽にも似たエネルギーの様なもの。


私は舞い降りたばかりの結晶達を見逃すまいと我を忘れる。


ゴォーゴォーと唸るみたいな風の音には、必死に動くまいと抵抗する家々の協力も含まれる。

そしてまた私を内包するこの家も同じ。

夫がテレビを付け、U2のドキュメンタリー映画を見始めた。

音楽が大好きな次女ツグコフ八ヶ月が難語で歌う。

夫が笑う。

下の階からは長女ヤヤコフ四歳がおじいちゃんと遊ぶ声が小さく洩れる。


切り離された様に、風の音が遠退く。


そうして大きく風に揺れる木々に目を奪われ、

私は風と木々のコミュニケーションに心を奪われた。




本当のところ、しっかりと防寒して今すぐ雪の上に寝転んでしまいたい。

そうして

雪の清らかさや匂い、温かさを全身で感じながら

私の体の上を滑る風を感じ、風に乗る雪の冷たさを感じ、

灰色な冬空と風に舞う木々を上に眺めるのだ。


子供の頃のように。


まるで音楽のようなそれに身を委ねるのが大好きだった。


時間を忘れてすっかりと体が冷えてしまっている事にはたと気がついて

『体が冷える』という事に

「ちぇっ!!」

と、渋々家に入るのだ。

けれど、

ストーブの暖かさに心満ちて

さっきまで抱かれていたそれを

今度は家に抱かれながら窓越しに感じるのだ。


まるで今みたいに。




私にとって、それは何ものにも変えがたい豊かさだ。



人はみな「幸せになりたい」という。


私にとって『幸せ』とは『なる』ものではない。


『気づく』ものだ。



中学生の頃お年玉で買った写真詩集がある。


著者自身が撮った自然の写真に、短い格言みたいな詩が添えられている。


今の私にはちょっと気恥ずかしさを感じてしまうもの。


今でも覚えている一節がある。



『便利なだけの豊かな生活よりも

不便を楽しめる心の豊かさを』



今の私にはちょっとクサい。



けれど、ちょっと悔しくもそれに外れていない。


私にとって『豊かさ』とは物質が生み出すものではない。

ハートで感じるものだ。



それは窓についた雪の結晶のように溶けて形を変えて


ハートの中で『愛』になる。




一滴が大海になる。


その言葉を数日間に三度みた。


意味するものは理解していたと思っていたが、


それだけでない何かを感じていた。



ふと、その答えを見つけた様に思う。



吹雪よ、

ありがとう♪




そんな事をぼんやりと夫の実家にて。



さて、そろそろみんなで夕飯だ♪



豊かな冬の食卓♪


万歳!!!