いのちと結びあうステージ ゼロから誕生へ


「苦しいからこれは違うとおもうんです。」

ちょっと待ってほしい。

創意工夫し続けることがいい場合と
離れることがいい場合とある。

結論を出す前によく「観察」してみてほしい。


出産も発芽も
生命の凄まじいファイトがある。

種は、発芽を起動するためのエネルギーしか蓄えていない。

土を押しあげて伸びていこうとするとき
その後の生命力を獲得していく。


わたしたちは
ファイトするべきときはファイトする。

頑張らないという言葉は
自分のやるべきことでないことをやめるための言葉で
努力をしないことを表すものではない。

わたしたちは
自分を生きることからは逃げられない。

それは、「死んでも」だ。


苦しみから離れようとするこころには
スピ概念の受け取りの大きな勘違いがある。

「喜び」が「判断」の基準になっていることがある。

これは、喜びを判断基準とするものを否定する言葉ではない。
それぞれが受け取る必要なプロセスがある。
それが必要なときも人生にはある。


生命の本質で話したい。

喜びとは判断の基準ではない。

なぜなら
わたしたちは「喜び」そのものの生命体だから。

「愛」そのものだといってもいい。

つまり、「喜び」や「愛」概念化すること自体が
本質から離れてしまっている。

また、こうして言葉で伝えることで
すべて喜びという概念で受け取る人もいるだろう。
それも本質から離れてしまう。


人は統合されると
これは「喜び」か?
これは「愛」か?

などの質問は起きない。


すべてが「生きる」ことだ。


このいのちを生きるってことは
喜びやこえる。

意味も理由もこえることと同じ。


ことばというものは
面白いものだ。

こういう妙なことばを使う人もいる

「わたしのハートがそういってるんです」
「わたしのハートが違うと言っています」

あなたのハートはどこにあるんだ?


今ここにあっていのちと結びついていたら
そんな妙な言葉の使い方はしない。

ハートがそう言ったなら
それは即行動されている。

「そうである」しかない。


ハートに従うことと
ごちゃまぜになっているケース。

これは、自分のことばに責任を持っていない。
(ハートに責任を持たせている)
境界線が引けていない例になる。

ハート、創造主、天使、女神、マスター
ハイヤーセルフ・・・

あらゆる存在は多次元に存在する。
ただ、多次元もすべて今ここにある。

自己の「確認」にあらゆる存在のメッセージを
確認することはある。


ゼロ次元の「出国審査」
このラインが引けていないと通過できない。

パスポートは自分自身の決意
ハートや創造主のものじゃない。

「これは、わたしのハートのパスポートです!」

と言ったところで審査は通らない。

通ることができるのは「わたし」の決意だけだ。



【ゼロ次元のプロセス】


ゼロ次元には

癒し⇒養い⇒学び⇒実践訓練

4つの成長プロセスがあり、

実践訓練では
自立、直感に従うこと
協力、責任、表現、評価、無条件の愛の
7つの意識次元(チャクラ)チェックがある。

これらの学びは同時でもあり、
どこからでも取り組むことができます。


上記のような「わたしの決意」ができないパターンは
まず、境界線がひけていない。
境界線が引けないのは
自立(自分軸の確立)と責任の意識次元が成長していないことを表す。


癒しのプロセスは
「受容」のプロセスです。
死のプロセスでもあります。

まずは、傷ついたDNA、こころ
エネルギー、過去生の修復です。

修復されながら自分にOK,こころの安らぎ
リラックス、全部OKなど身につけて
宇宙とのつながり、地球とのつながりを感じ。
感覚覚醒もある。
受容を「習慣化」していきます。


養いのプロセスは
受容のこころを日常で体現していきます。
丁寧に生きること、からだのこと、
自然に関わること、暦や月、星などを意識し、
さらに感覚が開いていきます。
ここでの感覚は人間が本来持っている「原始感覚」になります。
それらを「習慣化」していきます。


癒しと養いが満ちてくると
元気になってきます。

自分に役に立つことはないかと考えたり
自分の残りの時間を考えるようになります。
気持ちが内側から外側(社会)へ向くようになります。


そこで、あらためてやってみたいこと
自分が癒された手法などを癒しながら養いながら
学ぶ段階に入ります。
学びを「習慣化」します。


そこから実践訓練です。
ここが産道通過ポイント(出国審査)になります。

多くの人が難しいのはここ。

ここの通過の方法、次元の在り方については
日本の神社や世界にある神話がその形をよく表しています。


多くの人がスピリチュアリティに目覚めると
神社のお参りにいくよね。

あれって、練習してるんだよね。


なんの練習かっていうと
「こころをそろえる練習」
「素直(誠実)になる練習」


ここまでのステップがしっかりできていることが
「誕生」のポイント。


自分はもうそのプロセス踏んだから大丈夫という人。
ここからが本番です。

これから「幻想」は崩壊する。

ゼロ次元で積み上げたものが
幻想であればそれは持っていけない。


習慣になっていることだけ
身に着いていることだけが
荷物検査を通過して持っていける。



習慣になるってことは
生きかた(いのち)と結びついているってこと。



どこにいっても失われないし
誰にも奪えない。

どこの場所へ行っても通用するし
創造性(神性) と結びつくことができる。

道具がないからとか、ここではできませんってのは
生きかたと結びついてない。

何か証明しなければならないものなんて必要ない。


スピリチュアルがツールになっちゃって
生きかた、命の力と分離しちゃってると
誕生できない。

これは、ビジネスにも言えるよね。

楽して儲かる
あなたも豊かになれる

世の中にあふれるこれらのツールやメソッド。

多くの人が実現しないのは
原理と方法が一致していない
生きかた、いのちと離れちゃってるから。



「いのち」 と離れたからスピリチュアルを学びにきたんだよね?



ここでひとつの概念を提案したい。

いのちの力と結びついていることがスピリチュアルである。


あなたはいのちの力を
どこかで養ってきているはず。

苦しみは命の力、創造性を養う。

それは、どんな状況でも生きていく力だ。

わたしたちのいのちの力は
「状況」 をこえることができる。


離れるという在り方はゼロ次元に入るとき学ぶ

越えていく、前進するありかたは
誕生(自立次元に入るとき学ぶ。

どれもいのちの進化(次元の移動)ではある。
次元ごとに
わたしたちがとりくむ学びは変わる。

これは、それぞれのプロセスによって違う。



誕生の時が来たなら
振り返らない。



このステージは暗いトンネルのようかもしれない。
長い階段のようでもあるかもね。
「産道」だからね。

持っているのは足元を照らすひかりだけ。


幻想たちが手招きするだろう。

この次元に近道はない。
信じた道をまっすぐに進め。



いっぽいっぽいのちをふりしぼっていくと

いのちと霊性は結びあう。



大丈夫
そうやってわたしたちは生まれて来たから。

















「 大丈夫だよ 」(o^-^o)