二段目
(伏見稲荷の段)
義経は駿河と亀井の二人を連れて伏見稲荷までやってくる。
そこへ静御前がようやく追いつき、自分もともに連れて行ってと義経に願う。
義経一行は多武峰の寺に行くので女は連れてゆかぬほうがよいと駿河は進言する。
弁慶も追い付いて現れる。
だが義経は卿の君のことから扇でもって弁慶を散々に殴り、手討ちにしてくれると怒る。
弁慶は、だからといって主君の命を狙う者をそのまま捨ておけようかと涙をはらはらと流し、静も弁慶を許すよう言葉を添えるので、義経も一人でも味方がほしい時節なので今回ばかりは許すというのだった。
しかし静については、義経との同道は許されなかった。
義経一行は多武峰に向うのはやめ、摂津大物浦より船に乗って九州へ向うことにした。
なればなおのこと女は供に出来ず、静は都にとどまるよう駿河たちはいう。
静は泣きながら連れて行くよう義経に訴えるが、義経も心では静を哀れと思いつつも、次に会うまでの形見にせよと初音の鼓を静に与える。
それでも静は義経にすがりつくので、致し方なく駿河は鼓の調べ緒でもって近くの枯れ木に静と鼓を縛りつけ、義経一行は立ち去る。
ひとり残され嘆き悲しむ静。
そこに雑兵を率いて義経を捜しに来た土佐坊の家来逸見藤太が、静を見つける。
藤太は思いもよらぬ幸運と喜び、鼓を奪い静を引っ立てようとするところへ、佐藤忠信が現れ藤太たちを討取った。
義経一行も戻ってきて、忠信は義経と対面する。
忠信は故郷出羽国にいる母親が病であると聞き、義経の許しを得て里帰りをしていたが、その病も本復したので都に戻る途中義経の危機を知り、ここへ駆けつけたのだという。
義経は静を助けた功により、その褒美に「源九郎義経」の名と自分の鎧を忠信に与えた。
忠信は涙を流して悦ぶ。
義経一行は静と忠信を残して立ち去り、忠信は義経の命により静の身柄を預かることになる。
2014/11/12 17:44:52
★†呼び止められて†☆
テーマ:☆♡96♡★
徐々に 徐々に
観じられる波動が
強くなっていった。
突然、写真が撮れなくなり
スマホの電源も、落とされた。
辺りを確かめながら
そこに在る存在と会話しながら
スマホを復活させた。
ここだ!
そう、観じた。
スマホの電源を落としてまで
わたしを呼び止めてくれた存在。
それは。。。
狐忠信
まさか、こちらの場所から
源九郎稲荷に繋がるなんて
思ってもみなかった。
“龍願”地蔵さんならば
わたしの願いも聴いてくれるかな。
雨乞いのため父母を鼓にされた狐が親恋しさから佐藤忠信に化け、鼓を追いかけるという「義経千本桜」の源九郎狐の物語は、狐にゆかりの伏見稲荷が発端となり(「鳥居前」)、「川連法眼館」の場では本物の忠信と鉢合わせした狐忠信が本性を顕し早替りで狐になります。
火焔宝珠文様の衣裳から白い毛縫い姿の狐に変身した源九郎狐。
舞台で演じる役者のこしらえは頭だけ人間で体は毛だらけ、しかも着物のように帯を片花に結び、片方を長くして尾をあらわし、元結の部分が狐の耳になっています。
狐手という独特の所作をしたり、狐言葉で話す演出は歌舞伎味に溢れ奇想天外ながらもしかし、見る人に狐の愛嬌や親を思う心情を伝えます。
親子の愛の深さに打たれた義経が鼓を狐に与えることにすると、狐は父母の鼓に頬擦りして喜びをあらわします。
そして最後に鼓を賜った狐忠信が悪僧たちを化かし、狂喜しながら“宙乗り狐六方”という独特の引っ込みとなる演じ方もあります。
宙を舞う白狐はまさに火玉そのものであり、火焔宝珠文様も闇に紛れ、余韻を残しながらの幕となります。
この狂言はまさに狐火が主人公の演目といえるのかもしれません。
源義経から名前を頂いた白狐の『源九郎狐』がお使いとして御祭神の稲荷神(「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」「保食神(うけもちのかみ)」)を護っているのでこのお稲荷さんは地元の人々から『源九郎さん』と呼ばれ親しまれています。
実は大和郡山市は源義経とは何も所縁が無い・・・のだそうです。
全国には義経が奥州へ逃げる際に立ち寄った場所が多くありますが、大和郡山市は立ち寄った場所でもありません。
なぜここに『源九郎稲荷神社』があるのでしょうか?
元々『源九郎稲荷神社』は郡山城内にありました。
白い翁の姿をした「源九郎狐」が、長安寺村の僧の宝譽上人の夢枕に立ち、郡山城に自分を祀ってくれたら城の守護神になろうと告げました。
その夢を宝譽上人は城主の豊臣秀長に伝え、元々、吉野にあった(源九郎狐が使いの)稲荷神社を郡山城内の竜雲郭に移したという伝承があるそうです。
現在の「洞泉寺町」には江戸時代(享保4年)に遷座されました。
江戸時代、稲荷信仰は庶民の間で爆発的な人気を誇りました。
特に遊女が梅毒などの予防・治癒を願って(当時は死に至る病でした)信仰したので、遊郭や廓の近くにお稲荷さんは多いのです。
現在『源九郎稲荷神社』がある「洞泉寺町」も花街なのでその関係があるのかもしれません。
また狐は古代「来つ寝」とも書かれ「浮かれ女」=「遊女」を意味していたという説があります。
稲荷は「鋳成り」(=鋳物の意味)とも言い、古代の産鉄・製鉄に関係していると言われています。
稲荷信仰は山を御神体(=稲荷山)として信仰した事が発祥らしいのですが、その山が産鉄や製鉄に関係しており、一説では製鉄に関係した一部の民は大和政権にその地を奪われ、女性は「浮かれ女=遊女」となって生計を立てた・・そうです。
そんな豆知識を持って、花街「洞泉寺町」と『源九郎稲荷神社』見てみると遊女の悲哀を感じ、違った目線で観光出来ます!
豊臣氏は稲荷神社を信仰していた様です。
豊臣秀吉自身が身分の低い出だったので庶民に人気のあったお稲荷さんに親しみがあったのかもしれません。
郡山城主の豊臣秀長が治めた和泉・紀伊の地には鉄砲で有名な堺と根来があります。
秀吉が最初に城持ち大名になった滋賀県長浜市には同じく鉄砲の産地で有名な国友があります。
鉄砲は製鉄技術が必要です。
稲荷が『鋳成り』で製鉄に関係するなら、豊臣氏と稲荷信仰、そして鉄砲(製鉄)の関係は何を意味しているのだろう?などと考えながら、郡山の城下町と『源九郎稲荷神社』を散策してみてはいかがでしょう?あなただけの新しい発見があるかも!?
源九郎稲荷神社の狛狐と拝殿。
宝珠を口に咥えたキツネですね。
余談ですが、伏見稲荷大社の狐も宝珠や鍵を口にしています。
宝珠は願い事を叶える如意宝珠、
鍵は倉を開閉するキーを意味しています。
源九郎稲荷神社は保倉神社とも呼ばれていますが、
これは御祭神である宇迦之御魂神・保食神(うけもちがみ)に由来しています。
花火大会などで「鍵屋~、玉屋~!」と叫ぶ声を聞くことがありますが、
あの鍵・玉は稲荷神の使いである狐が咥えている鍵や宝珠に由来します。
おそらく江戸の花火師が、
京都の伏見稲荷大社を信奉していたのではないでしょうか。
それはさておき、本題に入ります。
歌舞伎の「義経千本桜」にも出てくる源九郎狐のご案内を致します。
源義経は兄頼朝に追われて、
静御前や弁慶と共に吉野山に隠れることになりました。
そのあたりのお話は吉水神社境内にも見ることができます。
何を隠そう、
頼朝に追われていた義経を守り通した狐こそが源九郎狐だったのです。
そのプロセスがどこか物悲しく、
聴く人の心を打ちます。
静御前が手にしていた初音の鼓が、
源九郎狐の両親の皮で出来ていたというではありませんか。
そんな経緯から、
その鼓を慕って源義経の家来に化けた源九郎狐。
義経と静御前に寄り添い、
頼朝に追われた二人を守り通したと言い伝えられます。
追手から逃げる途中に、
源九郎狐は義経に正体を見破られてしまいます。
実はキツネであることがバレてしまったのです。
その時、
義経は親を慕う狐に同情したと云います。
心優しい狐であることに感動したのでしょうね。
そしてまた、
自分達を狐の神通力で守り通してくれたことに感謝し、
自分の幼少名である「源九郎」の名をこの狐に与えたそうです。