父と母が出会った街でもある京都へ知人を訪ねて上陸した。

閉鎖的で独特な雰囲気だけど、それでもやはり、日本の雅や古都の風情を肌で感じると、それだけで背筋がしゃんとする。

古くから伝わるこの国の哲学には、表面的なものはなく、内側に溢れる「完璧な不完全さ」を表現した美しさを感じる。

今回は弾丸だったので、清水寺から、悪縁を断ち良縁を結ぶ安井金毘羅宮に京都最古の禅寺健仁寺のみ。

百合の花のように品性がある京都美人に、浴衣を着せて頂いた。

わたし…あれっ…子供っ(笑)精進します(笑)



簡素の中に見出される閑寂を楽しむ心、詫び・寂び。

しみじみと人の心を打つものは、華美なものではなく、少し哀愁のあるネガティブとポジティブが混同するもの。

万葉の時代から江戸時代に確立された美の概念たるや、奥が深すぎて…。

私なんぞひよっこには学ぶに足りないけど、日本人のベースに脈々と流れている、品のある所作には忠実に生きて行きたいと思った。

時々、凛とした空気に身を包まれるのも、自分が何かを思い出す良いきっかけになる。


常日頃から、「正しいor間違い」の判断基準よりも、その物事が「好きor嫌い」か…が、「本来のわたし」を見つける大きなポイントだと思って過ごしている。

京都は、最高に好き!

自分の「好き」は、大事に膨らませて、「嫌い」は好きを見つけるきっかけに使えばいいのだ。