ライフコーチ みつはしあきこです。




ここからは私の過去
歩んできた道のりをお伝えしていこうと思います。





今でこそ笑って話せるようになりましたけどね



昔は常に心がギューとなってました。



あ、正直言うと今でもちょっと胸がギューってなります・・・





そして・・・まだ伝える準備ができていないこともあります。






でも、もしここで伝えることができたら
そのギューっ・・・はどうなっていくのか
ちょっと楽しみでもあります。





それから、ところどころ記憶がありません・・・
話が飛んでいくことも、たぶんこんなんだった・・・
という曖昧なところも・・・



でも、素直に書きます。





1974年5月、横浜の産院で3世代に渡り理髪店を営む家庭の次女として生まれました。



当時、父親は24歳、母親は22歳。



そして、後々育ての親となった祖父が46歳、祖母は51歳。



曾祖父母の歳は・・・忘れました。。



曾祖父が、駅前の一等地に店を構えてから
地域のお客様にも愛されてとても繁盛していたようです。



普通に考えれば、私は裕福なお家のお嬢さんです。
(お手伝いさんも雇っていました)



曾祖父母、祖父母にも囲まれ順風満帆に
何不自由なく暮らしていたはず。




が・・・




いつしか、歯車が狂い始めます。





「あの人」のせいで・・・





両親が結婚したのは、父22歳、母20歳という若さでした。



父は、若くして結婚したからか、遊び足りなかったからか
本当の理由はわかりませんが
「浮気・ギャンブル・お酒」にのめり込んでいきます。





私の記憶はありませんが、3、4歳ころのことでしょうか。



両親は離婚しました。



それが、また少しの時間で復縁することになります。




理由は・・・





「子供達が小さいから。子供達のために・・・」





理由はともかく
両親は互いの意思でやり直そうと決めたわけですが
結局は同じことの繰り返しでした。





私が覚えている幼児期の記憶。





お酒を飲んで声を荒げて暴れる父・・・




母の頭に、ジョッキいっぱいのビールを浴びせる父・・・




包丁を持って立っている父(母だったか?)・・・




泣いている母・・・




知らない女の人・・・





父に強く握られて、爪の跡が残った左手の甲・・・





大嫌いなお酒のにおい・・・





小学校入学式の日、布団の中で母に言われた言葉・・・
お父さんとお母さんはお別れをして、
私は祖父母の元へ行かなくてはいけないこと。



そして、布団の中で泣いている自分の声。



その頃の姉の記憶がまったくないのですが
どうやら先に祖父母のもとへ行き
小さい私は母親の側から離れなかったようです。




こうして、私は入学した小学校へは
一週間も通うことなく転校をすることになりました。




(は~、やっぱりまだ胸がギューって苦しくなります。
でも・・・私は逃げませんよ。)





続きはまた次回に・・・