今日のタイトルは、なんだか怒っていますね(笑)

 

 

 

昨日、クリパルヨガのティーチャー向け講座第一回目

 

「ヨガ教師のための倫理」

 

をオンラインで受講しました。

 

 

 

初めて三浦敏郎先生ともお話させていただきましたが、

 

いや〜、、とても有意義な時間を過ごすことができました。

 

普段ぼんやりと感じていたことも、先生からの問いかけによって

 

 

想像力を働かせてみると、いろんな課題が見えてくるものですね。

 

 

「ヨガ教師として大切なことって何だろう」

 

 

ということが自分の中で少しずつ整理できてきたような気がします。

 

 

 

先生からこんな問いかけがありました。

 

 

「ヨガって、

 

「平和」で「幸せ」で「調和する」ことで「非暴力」

 

いろんなキーワードがあるけれど、なんだかキラキラしているから

 

いろんなことがきれいごとで済まされているような気がしませんか?

 

おかしいと思っていても、言わないところがあるような。。」

 

 

実は私はずっとそれが気になっていて、、。

 

 

少し前にこんなことがありました。

 

ヨガ雑誌では素晴らしいことを言っている先生が、

 

実は生徒にたいしてハラスメントまがいのことをしていたり、

 

SNSで自分のことを宣伝するように強要したりしている事実を知って

 

その行為はヨガと対極にあるし、正直に気持ち悪いと感じるし、

 

「そういう人がヨガを語る資格はない!」

 

と怒りさえ覚えました。

 

でも圧倒的に先生と生徒の関係では先生が強い存在だから、

 

言わないで耐えている、

 

おかしいと思っても先生のいうことだからと我慢している。。

 

そんな生徒さん、いるのではないだろうか。

 

 

 

 

悲しいかな、世界的にみるとヨガ業界ではそういったことが水面下で横行しています。

 

 

業界をリードしてきた先生たちは、この状況にとても危機意識を持っているし、

 

 

これから新しくヨガを始める人たちに指導していく私たちには、

 

悪い流れを引き継がないようにしていく責任があるんだと感じます。

 

 

ヨガをしていると、ちょっとした自分の体の異変に気付いたりしますよね。

 

それと同じように、日常生活の中でも

 

「ん?これっておかしいんじゃない?」

 

っていう感覚ってすごーく大切なんじゃないかなぁと思いました。

 

先生としても、生徒としても「見て見ぬふり、しない。」

 

盲目的に先生を信じる、のではなくて

 

いつもそこに自分なりの直感を働かせていたいですね。

 

むしろそのために日々のヨガの練習があるのではないだろうか。

 

 

 

 

意識を変えていく。

 

気づきを持って生きていく。