【想いを込めた関わり】
子どもは発達する過程で、あることに物凄い興味を惹かれ、それに手を伸ばし繰り返し実践することで“集中現象”を起こします。
これを「敏感期」と言います。特定の年齢になると、現れます。
集中現象の子どもは、心の内側が輝き出します。ワクワクが最高潮に達し、脳が喜びで満たされます。
彼らは、そこから繊細な指先の動きを吸収し、確立させていきます。
どこまで行くと満足するのかは、その子次第です。満足いくと、静かに手を止め、深い深い至福のため息をします。
それが、実践した事柄の“完了サイン”です。
子どもたちは、集中現象の時、そこにいるようで、いません。彼らは、まさに環境と一体化しているからです。
その時、大人は声をかけずにジッと観察しながら、完了サインを待ちます。決して手を出さず、口出しをしません。
それは、子どもと環境を切り離してしまうからです。
正しさを押し付けることも、断じてありません。正しさは子どもの中にあります。子どもの姿が、全ての正しさの表れです。
大人はそれに対し、彼らがしていた行為自体に焦点を当て、一言声をかけます。
「◯◯したね」というふうに。
「よくできたね」と、出来る・出来ないの評価を下すような声かけは、必要ありません。 「よくできたね」「すごいね」等の声かけが、馴染みのあるフレーズだとすると、意識して言わないよう気をつけてください。
子どもは大人からの評価を求めておりませんし、過度な共感も必要ないのです。
ただ一言の中に、すべての想いを込めて伝えるのです。
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〜モンテッソーリの環境構成〜
https://aki-nakasone.amebaownd.com/pages/6370671/static
『子どもの真の理解者』になる。
モンテッソーリは大人(オトナ)のものです。
子どもはすでにパーフェクトです。
それを取り囲む大人が子どもの真の理解者であること。
そのためにモンテッソーリがあると思っております。
大人こそモンテッソーリなのです。
私たち大人が「正常化した姿」で子どもの前に存在すること。
(モンテッソーリ用語:「本来の姿」という意味です。)
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【意図的に生きるAvatar®Course】
ふつうの私が「本当」な気がする方へ進んだ先に出会った意識を意図的に使う方法を学ぶアバターコース。自分の意識の始まりから、自分自身のことをしっかり深く学んでいける。もちろん色んな技術も身につく。自分自身が子どもを見る目、人間を見る目を変えてくれるような、変革につながるトレーニング。とにかくいろんな方に知ってほしいトレーニングです。
アバターコース
https://ameblo.jp/akinakasone0310/entry-12697716171.html
モンテッソーリ教育が100倍分かるようになるアバターコース
https://ameblo.jp/akinakasone0310/entry-12773378659.html
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