【非言語コミュニケーション】

(*私のフェイスブックの記事を転載します)





人との縁では、言語でのコミュニケーションだけでなく、非言語でもコミュニケーションしています😊


気功のトレーニングをしていると、相手の気を読めるようになる。


しかも、苫米地式でとことんやっていると、『抽象度』の概念も学んでいるので、相手が【爬虫類脳】で話しているのか《しましま猿脳》や《火の鳥脳》で話しているのかも解るもの。


先日、【爬虫類脳】バリバリで、矛盾した内容を話している人がいた。


当人としては、正しいことを言っているつもり。


だけど、自分の正当化にばかりフォーカスした内容で、

その言葉の裏にある【爬虫類脳】からくる『自分だけがよければいい』という小さな【煩悩】に翻弄されている様子で、論理的にも破綻したことを言っている。

(このことには、話している当人は全く気づけないもの。)


通常なら、それでも通用するのだろうけど……


色々と感じ取れる人からすると、話している言葉よりも、その裏にある小さな【煩悩】の方が気になるもの。


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『大人は言っていることとやっていることが違うなぁ』


……と、子どもの頃に感じたことはありませんか?


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よく、思春期の頃に


『大人は汚い』


……という感覚で、このことを表現していることがある。


そう、その子の出会った大人は、きっと、言語では良いこと言っているけれど、

非言語では違うことを伝えてしまっていたのでしょう。


行動にも現れていたのでしょう。


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子ども時代、多くの人は親をよく見ているものですね。

私も子どもの頃に、母をよく見ていました。


母は、家事や仕事、弟達の世話で、凄く忙しそうで、いつも大変そうだった。


そんな母は、嬉しいことがあると


『私、幸せ😊❣️』と言っていた。


その時の感覚は、本当に幸せそうだった。


だから、もっと母を幸せにしてあげたかった。


母が幸せだと、私も幸せになるから。


毎年、夏はプール、冬はアイススケート、お正月にはスキーに行き、その度に嬉しそうだった。


私がお手伝いすると

『助かるわ〜❣️』


私が弟達の世話をしてあげると

『お姉ちゃんがいてくれてよかったー😊』


いつも、母は喜んでくれた。


でも、いつの日か、少しずつズレていったのを覚えている。


楽しそうな時もあるけれど、

辛そうな時に、無理に楽しんでいる風を装っていた。


何があったのかわからないけど、どうやら父との関係で辛い様子で……


私は、敏感に何かを感じ取り、ある人が大嫌いになった。


きっと、母が辛い思いをしている【元凶】の人。


何を見たわけでもなく、聞いたわけでもないのに、その人と一緒にいる母が辛そうで……


その人のことが許せなかった。


大人になってから、祖母からその人の話を聞いた。


『そんなことがあったのなら、私がその人を嫌いになる訳だ。』


……という内容だった。


このことが明確になって、わかったことがある。


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子どもって、ちゃんと感じ取っているものです


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本当は、子どもだけではなく、大人になっていても、感じ取っているもの。


ただ、表面的な言葉や嘘に慣れてしまい、その感覚を麻痺させていることや、


『言葉通りだと信じたい』という気持ちから、


相手が非言語で伝えていることを無視しようと生きている場合がある。


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     正直が最強!


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自分にも、相手にも、嘘をつかずに正直でいる時のエネルギー感と


自分にも、相手にも、どこかで嘘をついている時のエネルギー感は


全く違う。


自分にも、相手にも正直でいることって、簡単そうだけど、難しい。


なぜならば、《自分に正直》というのは、

エフィカシーが高くなければ出来ないことなのだから。


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非言語コミュニケーションで、何を伝えていますか?




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