15年経っていても、記憶は結構さだかかなぁって思ってたけど、
細々した時系列は、忘れてるところがあります。
その辺はご了承を。
店名を『GO GO’s』と決めた翌日、オレは大工さんのボスに教えて頂いたChinatownに行った。
教えて貰ったって言っても、あの辺にあるよーって感じだったから、
看板を作って頂く店は自分で探さないといけない。
それと、この時オレは一人だったんですよ。
何故なんだろう…
カメラも付いてないし、なんか思い出せないねん。
当時、ADさんだったホッティは、なんか別の重要な用事があるって言ってたのはなんとなく覚えてる。
プロデューサーはなんかロスの小林幸恵ちゃんのとこに行くとかだっけ?
ディレクターさんはなんで居なかったんだろう…
まぁ、とにかくオレは一人でChinatownに行った。
大阪で言うと、「道具屋筋」みたいなとこ?
ひととおり、目星を付けながら通りを歩いて
なんか、一番話を聞きやすそうな看板屋さんに入ってん。
「Hi!
I want to make a signboard.」
一応、ぐちゃぐちゃな英語で話し掛けた。
どこから来たの?
日本です、とか
ひととおりの世間話をしたけど、TV番組で来たとは言わなかった。
瞬時に本能が働いた。
ちょうどカメラもないし。
「どんなのが欲しいの?」
「あ、これ。
こんなのを作ってくださいな☆」
もう、ここら辺ちょーボディランゲージ。
でもさ、この頃ってなんだか相手の言う事理解出来た。
何故だろう?
いろんなとこに一人で行ったけど、なんとかなってん、まじで。
相手はかなり大変だっただろうけど…
アメリカの方々は本当に根気良く聞いて下さって、優しい。
って、事で↓↓↓以下もすべて英語です☆ (^ー^)ノ
「OK!」
「ところでおっちゃん、How much?
なんぼでやってくれるんですか?」
しばしの沈黙……
「500$かな。」
「NO!NO!ダメ!
さっき、ちらっとあっちの店で聞いたらもっと安かったよ!」
(↑これ、口八丁ね☆)
「450$」
「ダメ!NO!オレは貧乏。」
「400$!」
「話にならないよー。おっちゃん!
もっと負けて下さいな。
切って塗って貼るだけやん、このデザインならさぁ。
だから、300$でどう???」
「……オーケー…
オーケー…」
やった!!!
交渉成立☆
300$まで値切ったよ。
そして、お店の奥でデザインの詳細や納期を詰めた。
オプションで納品日に車でオレのSHOPの前まで持って来てってのも頼んだ。
もちろん、無料。
さぁ、アパートメントに帰って作品=商品創る作業再開しなきゃ。
あ、Chinatownまで来たからさ、生地屋さん見てから帰ろっか。
……
二、三日後
日本のスタッフルームからの連絡。
様々な事情から『GO GO’s』は使えなくなったと…
これは本当に番組も、そしてオレも悪くない。
ここには書けない深い事情があったみたいなんだ。
この事情は15年経った今も番組とオレと…
しか知らない、今後も話さない。
それでも番組はオレの意思を最大限尊重してくれて
オレが出した第二案の候補
「AKIUE-GO」
を、店名にすべく交渉して守ってくれた。
オレの意思を守ってくれた。
本当にありがとうございます!
この連絡を受けて、オレはもう一度Chinatownの看板屋さんに走った。
あの時は本当にご迷惑をお掛けしてごめんね。
こうしてオレのNYでのSHOP名が
「AKIUE-GO」
に、正式に決まった…
※画像↓はもう、すっかりオレの店ではなくなった8年程前、NYに行ったかたが写して下さったもの。青と白の椅子は何なんだろう??? (≧∇≦)
看板は「AKIUE-GO」…
ちなみに、
書くべきか、書いて良いのか、そして書く必要もないかも知れないですが、
二年前。
日本での「AKIUE-GO」 「GO AKIUE」の商標が13年経って初めて今オレの手許にある。
もちろん、Rマーク付きで。
この件は、番組は一切関係してないし、オレが番組を卒業してからの話。
ずっと守ってくれてたもん!
そして時間が掛かってもオレの手にきっと戻るようにと
凄く誠実に、そして暖かく「AKIUE-GO」と、この僕自身=ご あきうえ
を、守って下さった日本最大の、
そして日本で一番暖かな某商社さんの御尽力があったからです。
13年前のあの日を、今でも忘れません。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです!
いつか、本当にいつかご恩返しを出来れば…
もし、だれかにご迷惑をお掛けしそうになれば、後半のこの部分はすぐに消しますね。
#看板屋 #Chinatown #AKIUE-GO #GOAKIUE