1966 フォード・フェアレーンGTAコンバーチブル | 乗り物ライター矢吹明紀の好きなモノ

1966 フォード・フェアレーンGTAコンバーチブル

1966 FORD FAIRLANE GTA CONVERTIBLE

フォードにとってフェアレーンという車名は1961年モデルまではフルサイズのミドルレンジに与えられていたものだった。それが新たにインターミディエイトに与えられる様になったのは1962年モデルからのことである。


以来、フェアレーンはパッセンジャーカーのメインラインとして親しまれると同時に、サンダーボルトに代表される市販ドラッグレーサーがそれまでのフルサイズに代わる主力マシンとしても活躍し初めていた。


そんなフェアレーンがフルモデルチェンジを行ったのは1966年モデルのこと。フロントマスクをギャラクシーと同じ縦型4灯ヘッドライトに改め、リア周りのデザインもよりギャラクシーに近いものへ。またこの年からNASCARやUSACのストックカーレースにおける主戦マシンがフェアレーンになったことを受けて、ルーフ周りのデザインをより空力的に洗練されたものへと変更していたのも特徴である。


翌1967モデル、この年はフォード、GM、クライスラーのいずれのインターミディエイトもフルモデルチェンジを避けマイナーチェンジに止まっていた。これは1966モデルの人気が高かったことの裏付けでもある。


今回写真で紹介しているのは1966年型のフェアレーンGTAコンバーチブルである。既述の通り外観上から見る1966モデルと1967モデルとの違いはわずかであるが識別は難しくない。それらは新たに縦バーを追加することで8つのセクションに分けられたグリルパターン、上下2分割されたテールランプ形状などがその代表である。


メカニズム的にも1966モデルと1967モデルはほとんど同じだったが、標準装備品に少々違いが現れていた。具体的には、1966モデルのGT&GTAは390cu:inのFEユニットが標準装備されていたのに対して、1967モデルでは200hpの289cu:inがスタンダードとなり、390cu:inはオプションとなった。この390cu:inも、1966ではGTが335hp。ATミッションのGTAの場合は315hpだったのに対して、1967モデルでは両者共に320hpとなった。


またGT&GTAには、フロント・パワーディスクブレーキが標準装備となったのも1967モデルからのこと。このあたりのリファインは、ハイパフォーマンスを売り物とするマッスルカーにとって、実に好ましいポイントだった。


新たにフォードにおけるモータースポーツの担い手となったフェアレーンは、NASCARの華でもあった1967年度の「デイトナ500」において、ホールマン&ムーディのワークスマシンを駆ったマリオ・アンドレッティが快勝するなどして、ようやくイメージ的にやや先行していたダッジ&プリマスに追いつくことができたモデルという評価がふさわしいように思える。


その一方で今回紹介しているコンバーチブルに対する評価は、そのスタイルの良さが第一だったといっても間違いではないだろう。さらにギャラクシーに続いて導入された縦4灯デザインのヘッドライトも新しいフォードのアイデンティティとして広く認識されるに至った。


ここで改めて言っておきたいことがある。それは誰もが憧れる最高のデートカーとしてのコンバーチブルと、ハイパフォーマンスカーの代名詞としてのマッスルカーの融合は、1960年代後半のみに見ることができたレアな仕様であるということ。


「アメリカ車=大きくてカッコいいコンバーチブル」という認識を持っているヒトも多いとは思うが、ことマッスルカー+コンバーチブルというカテゴリーに当てはまる個体は決して多くはない。何よりもハイパワーエンジンとコンバーチブルの組み合わせに対しては、否定的な意見が多かったというのが当時の世界の趨勢だったことを忘れてはいけない。


にも関わらず、アメリカの大メーカーがトップグレードとしてマッスル・コンバーチブルをラインナップした背景に存在していたことこそは、クルマに対する自由な発想と遊び心と判断するのが妥当だろう。マッスル・コンバーチブル、それはクルマ造りに理詰めと遊び心が共存していた黄金時代の産物として貴重である。


美しいフォルムと強力なエンジン。コンバーチブルとハイパフォーマンスメカニカルコンポーネンツの融合こそは、アメリカ車のみがチャレンジした自由な発想の産物だった。過去、こうしたキャラクターと共にデビューを飾ることができたクルマ達は決して多くはない。1960年代の半ばから1970年代の極初期というわずかの期間だけその存在を許されたマッスル・コンバーチブルの潔さを改めて高く評価しよう。