あの日、大きな大きな揺れの直後に
夫から安否を確認する電話が入った。
この電話を切った直後からしばらくの間通話は不能に。
ただ、メールだけは100%に近い確率で送受信ができていた。
そのため夫からの電話のあとに入った学校からのメールも受け取ることができた。

「子どもたちは全員無事です」

このメールにどれだけホッとしたことか…

大きな揺れではあったが我が家では立て掛けてあった破魔矢が落ちただけで、震災直後から1秒たりともライフラインが途絶えることがない。

揺れの直後、テレビではお台場のテレコムセンター付近からの黒煙が映し出され、その後は津波に呑み込まれる家々が大きく報道されていた。

その映像はまるで戦場だった。
ただ事ではない。
テレビから目が離せなくなってしまった。

次々と入る被災状況。
原発事故。
計画停電実施の発表。
手に入らないガソリンに灯油。
品物のないスーパー。
汚染された水道水。


私の住む町からも亡くなった方が出てしまった。
比較的大きく報道されたため、私の住む町も大きな被害にあっているのだろうと心配してくれた友達がたくさんいる。
本当にありがたいと思う。

私の住む町でも計画停電が行われている。
仕方のない措置だと思うし、協力も惜しまない気持ちでいたら、ここは計画停電実施除外地域だという。
なぜ除外地域なのかはわからないが、すぐ先にある地域では停電が行われ、ナミとサクラのお友だちも暗く寒い夜を我慢して過ごしたりしていることを思うと不公平だなと感じてしまうと同時に、普通に生活をしていることに罪悪感さえ感じてしまう。


大阪の義実家から春休みに遊びに来ないかと言われ続けていたが、今東京を離れる気持ちにはなれなかった。
そのため、25日から義母が大阪から出てきたが、義父が体調を崩して入院しているのが気になるのですぐに帰阪すると言う。
そして毎日のように「私と一緒に大阪へ来ない?」と…

それでも今は東京にいたいと断り続けていたが、義父のことが気になる。
夫は私以上に父親のことを案じているはずだ。
それでも仕事があるので帰阪することができない。
でも、心配していないわけがない。

夫は私の両親のことをいつも大切にしてくれている。
私も行くべきなんだろうか…
孫の顔を見れば義父も元気になるのでは…

そう思い、大阪行きを決め今日の夕方から大阪入りをしている。

一度も飛行機に乗ったことのないナミとサクラのために急遽昨日チケットを取り、羽田を経って伊丹航空に到着した。

肌で感じる空気が違う。
放射能を気にせずいられる安心感。
外に干されたたくさんの洗濯物。
品物の揃ったスーパー。
電気が明るい町並み。

普通の日常がここにあった。
今日本で起こっている出来事がまるで映画の中でのことのようにも感じられてしまう。


でも、早く東京に戻りたい。


義実家も阪神淡路大震災のときには少なからず被害を受けている。
こちらへ来るとよく遊びに行く大好きな神戸は大きな大きな被害を受け、たくさんの方々が亡くなってしまった。

それでも復興した町。
人々が協力し、支えあった町だ。


東北地方の皆さんの復興を心よりお祈り致します。





Android携帯からの投稿