昨日、チェックアウトの後真っ直ぐ新大阪に向かい

夕方前には帰宅しました。

本当に身内だけの小さなお葬式でした。

おばあちゃん、キレイなお顔してたなぁ。

夫を育ててくれたおばあちゃん。

ワタシのこともとても可愛がってくれました。

お別れができてよかった。


それにしてもホテルはいいですねぇ。

今まで、大阪へ行くときにホテルに泊まるという選択肢は

全くなかったんですね。

当たり前のように義実家に寝泊まりしていましたし、

それをイヤだと思ったこともなかったので。

快適ですしね、義実家。


だから大阪でホテルに泊まったのは初めてなのですが、

多少の出費はあれど、余計な気を使わないっていう点では

まさに天国です。


もう絶対に義実家には泊まらないもんね、ワタシ。

少なくともあのうすらバカのジジイが生きてるうちは!!




***************************

***************************



義家族は両親と息子3人の5人家族。

長男は義父とはまたタイプの違ううすらバカで、現在は大阪を出て

川崎で一人暮らしをしている(らしい)。

ここは離婚をしていて、子供3人は奥さんのほうについて行った。


次男は義父の会社を継いで、現在は義実家から車で5分ほどの

距離に住んでいる(らしい)。

ここも離婚して3人の子どもは奥さんのほうへ。

次兄はそのあと再婚をして、今の奥さんとの間に子どもはいない。

車で5分の距離に住んでいるらしいのに、義実家にはお正月くらいしか

顔を出さない(らしい)。

義父の会社を継いだ次兄夫婦は、会社で頻繁に義父に会うものの、

会社へ行くことのない義母とは年に1~2度しか会うことがない。


今回のお葬式でも、久しぶりに次兄に会った義母が


「久しぶりやな。正月以来やな」


などと声をかけていたほどだ。

東京に住んでいるワタシとは2ヵ月おきくらいに会ってるのにね。


そして末っ子三男がウチのダンナ。

長兄とは13歳、次兄とは8歳離れているので三男でありながら

一人っ子のようなものだ。

夫は三兄弟の中で一番自由に育てられてきた。

というよりも、夫が生まれたころは両親とも会社が軌道に乗り始め、

仕事がとても忙しかったため、夫はもっとも両親の手をかけられず育った。


子供の頃親と過ごした記憶がない。


よく夫がこう言っていた。


これに対し、寂しいとか悲しいなどと思ったことはないという。

自由気ままに生きてきた三男坊だ。

だからなのか、夫の両親への接し方は親子という関係とは程遠い。

良く言えば優しい。

他人に対する気遣いというか、声掛け一つにしてもよそ様に話しかけるような

優しい話し方をする。

悪く言えば他人行儀。


恐らく夫は親子喧嘩などしたことがないんだろうなぁと思う。

親にわがままを言うこともない。

長兄と次兄は義父からあらゆる期待を背負わされ、

必要以上に厳しく育てられたようだが、義父は夫には何も言わなかったらしい。



義母はまさしく「大阪のおかん」。

正真正銘の「B型気質」な女性だ。


何事においてもポジティブシンキング。

どんなミスも笑いに変える明るさがある。

4姉弟の長女で下3人は弟なので、亡くなったおばあちゃんにとっては

なによりも頼りになる娘だったに違いない。


義母が脳梗塞で倒れてもう18年になるが、当時生死をさまよい

結果左半身に大きな麻痺が残った時にも、リハビリをレクリエーションのごとく

楽しんでいた姿は本当に感心する以外なにものでもない。


大雑把なようでも実は非常に神経の細かい女性だ。

ただ、人の会話に遠慮なく割り込んでくること、人の話を聞かないこと、

なんというか・・・常に神輿の上に立つ女という感じ?

その点は年のせいなのか本来の性格なのか・・・って感じ。

正真正銘の姉御肌的存在の女性だ。




うすらバカ・・・これが義父。


生まれは広島県尾道市。

男一人の確か8人姉兄妹(?)。

上にお姉さんが一人いて、下は妹ばかり6人だったかな。

母親違いの妹がいたりして、正確な人数を忘れてしまったわ。


義父の父親というのがボンクラだったようで、貧乏だった義父は

中学を卒業し大阪へ上阪。

詳しいことはわからないが、20歳そこそこで義母と結婚して

(できちゃった結婚らしい)会社を作った苦労人。

今はリタイアし会長という立場になり、会社は次兄が継いでいる。


ここ、兄妹の関係が素晴らしく強い。

妹たちは兄のいうことは絶対だと思っていて、義父の言うことに

逆らう者など一人もいない。

誰も中には入れませんよという状態。

義父は尾道をこよなく愛し、今でも月に数回は尾道に帰っている。

尾道の話をし出すと止まらなくなるほどの尾道フェチだ。


そういえば、義父の実家のお墓は当然尾道にあったんだけど、

義父の父親(夫のおじいちゃん)が亡くなった時に、新しいお墓を

建て直したんだよね。

もちろん父の意向で尾道に。


でもさ、義父が尾道を出てすでに60年経ってるわけ。

大阪で結婚し子どもが生まれ、生活の基盤全てが大阪なのに、

それでも尾道に建てちゃったんだよね。


義母がよく言ってるわ。


アホやで!

尾道なんかに建てたって誰も参られへん!!


その通りだわ。


大阪に実家があるのに、誰が尾道までお墓参りに行く?

しかもワタシたち東京だしね。


お義母さんに万が一のことがあっても、ワタシたち尾道まで

お墓参りに行けないね。


これ、お墓の話が出るたびに義母に言うんだけどね。



義父が尾道にお墓を建てるとき、当然のように義母も息子たちも

「んなアホな!!」と言ってたけど、誰一人として義父に直接言ったりは

しなかったんだよね。

みんな陰でコソコソ言ってたわ。

まぁ、言ったら最後、義父のことだから切れちゃうしね。



そういえば、新しいお墓を作ったもんだからお墓がひとつ余ったわけね。

で、義父が言いましたよ。

ええええ、夫にではなくワタシにね。




なのさん、お墓いらんか??

アンタらお墓ないやろ?





ドアホ!!

 



なんでワタシが尾道のお墓をもらわなきゃいけないんだよ!

我が家は娘が3人ですよ。

しかもワタシは生まれも育ちも東京なんです。



尾道の墓なんているかっ!!!





と、義家族紹介でこんなに長くなってしまいましたが続く。