久しぶりに書こうと思ったのは戦争について。
それより先に、アメーバのくせになんでデザインが単細胞じゃなくなっているのかツッコミを入れたい。犬じゃん。細胞レベルから違うわ。

戦争について書きます。
学生が国会周辺取り囲んでデモを行っているのはただの茶番に見える。何だあのお祭りみたいなデモ。先日のネットニュースでカラフルなペンライトを持ったデモ隊の写真が載っていた。最初何のコンサートかと思ったら違う、デモだ。
ただのお遊びにしか見えない。それが今の戦争反対を呼びかける側のデモに対する批判。
だが私は安保関連法案については反対派だ。
何故反対か。確かに中国や韓国は軍事力の増強を図り、この間の抗日記念の軍事セレモニーは中国とアメリカの新しい冷戦が始まったとさえ表現しているメディアがあった。
それはわかっている。戦争をしない何ていうのは夢物語、憲法に書かれただけの机上の空論とも言える。だがそれで良いのか?人間は殺しあわずには居られないのか?自然淘汰という言葉があるが、それは人間同士で殺しあうことか?古代から現代まで人間は大義名分を掲げて多くの戦争を行ってきた。今日本は自衛隊を周辺国への抑止力とするべきだと安保法案賛成派は言うが、同じように軍隊を抑止力として組織した近代ヨーロッパの国々は戦争をしなかったか?答えはNOだ。それで戦争をしなかったなら、世界大戦は世界大戦とはならなかった。抑止力を持っているから喧嘩をふっかけられて相手国の大使館を包囲して人質とすれば戦争を行わなかったわけではない。結局小規模の戦争を行っていた。
同じように国の偉い人たちが今回も小規模の戦争だろうと考えておこったのが第二次世界大戦だ。抑止力は抑止力である以前に力であることを忘れていないだろうか?
もし小規模であれ戦争は参加すれば少なからずの犠牲が出る。それに対しての保証もしなければならない。もし一度勝ったとして、次も勝てるか?敗戦後の日本を見ればその後のことは考えられるだろう。
大学の授業を受けて、ニュースを見て、やはり安保法案というものについては批判的にしか見ることができない。それを書きたかっただけだ。