続:『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 というタイトルの考察 | ALL THAT BLADE RUNNER by NYzeki

続:『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 というタイトルの考察


以前、このような考察をしました。


http://ameblo.jp/allbr/entry-10571597489.html



P・K・ディックによる、映画 『ブレードランナー』 の原作、


Do Androids Dream of Electric Sheep? を翻訳した浅倉久志先生は


日本語版に 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 という題名をつけました。




アンドロイドは眠るときに夢を見るのだろうか・・・・


夢で自分と同じ人造物の電気仕掛けの羊を見るのだろうか・・・・だとしたらなんて皮肉な夢なんだろう・・・


いろんな思いが浮かぶ題名です。ちょっと哲学的な雰囲気も。



ところが。


ネットではこんな意見も。



    ・この場合、睡眠中の夢で見るというよりは、日本語でいうところの「夢見る」というような意味。


    ・デッカードが電気羊を飼うことを夢見ていたように、

      

      アンドロイドも人間に近づいていけば、電気羊を飼うことを夢見るようになるのか、ということで、


       『アンドロイドは電気羊を夢見るか?』 という題名にしたほうが元の意味に近い。



言われてみれば、たしかに。


哲学的な雰囲気は消え去りますね。



さて、どちらの解釈が適切なのでしょう?



その時の私の考察は「夢見るか」というニュアンスのほうが意味的には近いけど、


浅倉先生、実はそれをわかった上で、あえて「夢を見るか」、


という日本語の題名にした気がするというものでした。


そのほうが、想像力をかきたて、哲学的な雰囲気にもなるから。浅倉先生は確信犯(笑)だった、と。



さて、先日なんとなく 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 のウィキペディア



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E3%81%AF%E9%9B%BB%E6%B0%97%E7%BE%8A%E3%81%AE%E5%A4%A2%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%81%8B%3F



を読んでいたら、こんな記述が。



題名は、一見すると奇妙な問いかけである。主人公は人造人間を処理していく中であまりに人間らしい人


造人間に会いすぎ、次第に人間と人造人間の区別を付けられなくなってゆく。人間とは何か? 人間と人工


知能の違いは? 作品の根源的な思想を素朴な問いかけに集約した、主人公のこの一言が、そのまま本


品の題名となっている。また特徴のあるこの題名は、多くのパロディを生んだ。



「作品の根源的な思想を素朴な問いかけに集約した」 というのにはちょっと違和感を感じるけれど、


それよりあれっと思ったのは、


 「主人公のこの一言が、そのまま本作品の題名となっている」 という部分です。


小説中にあったんだ・・・・


見落としていたのか、忘れてしまっていたのか・・・・とにかく確認。


探したところ、なるほど、16章にはこう書いてあります。



 火星時代は薬剤師ーと、リックは読んだ。とにかく、このアンドロイドはそう自称していたということだろう。


実際には、おそらく肉体労働ー作男かなにかに雇われて、よりよい生活への野心を燃やしていたのかもし


れない。アンドロイドも夢を見るのだろうか?リックは自問した。見るらしい。だからこそ、彼らはときどき雇


い主を殺して、地球へ逃亡してくるのだ。苦役のない、よりよい生活。不毛な岩だらけの荒原、もともと居


住不可能な植民惑星で汗水たらして働くより、たとえばルーバ・ラフトのように、ドン・ジョバンニやフィガロ


の結婚を歌うほうをえらぶのだ。





たしかに主人公デッカードの問いかけは小説中に存在しました。


でも、小説の題名のように電気羊を夢みるか、とは書いてません。


限定してはいないんですね。



ウィキペディアにあるように、


「主人公のこの一言が、そのまま本作品の題名となっている」


というわけではありません。



「アンドロイドも夢を見るのだろうか?」 (原文は Do androids dream? )



とだけ書いてます。


もっと広い範囲でのプラスなことがら、


より良い生活、安寧な環境、希望のある未来・・・そういうものをアンドロイドは夢見るのだろうか、


というデッカードの自問。


そして、夢見るんだろうな、だからこそ過酷な環境から逃亡してくるのだろうな、という自答です。





ではその自問を題名にするなら、 


アンドロイドは夢見るか?』 (Do androids dream? ) になるはず。


でもそれに「電気羊」 を入れたのはディックの言葉遊び、ユーモアではないでしょうか。


人造人間が電気仕掛けの人造羊を飼うことを夢見る、望むという奇妙な状況。



ただ、今回小説を読み直して気づいたのですが、


「デッカードが電気羊を飼うことを夢見ていたように、

      

アンドロイドも人間に近づいていけば、電気羊を飼うことを夢見るようになるのか」


と以前私が書いたのは不正確でした。




本物の動物を飼うことこそがステイタスであり、社会人の義務のようになっている世界ゆえに、


デッカードは電気羊を飼っていることを恥じて隠しているんですね。


デッカードが夢見ていたのは本物の羊を飼うこと、でした。


その夢は叶ったかのようにみえたのですが・・・・




だからアンドロイドが人間に近づいていけば、電気羊を飼うことを夢見るようになるのか、


というのはおかしいわけで、人間に近づいていけば本物の羊を飼うことを夢見るはずです。


アンドロイドは羊の夢を見るか?』 (Do Androids Dream of Sheep?)


というのがふさわしい題名ということになります。





はっきりしてきたのは、


日本版の題名では想起させられるのですが、アンドロイドが睡眠中に見る電気羊の夢、


というニュアンスは、どうももともとの題名にはなさそうだ、ということですね。






というわけで考察のまとめ。



・アンドロイドが睡眠中に電気羊の夢を見るか、というニュアンスは原題にはないが、


日本語版の題名はそういう意味にもとれるようにわざと「の夢を」を使ったのでは。印象的な題名にする効


果をねらって。



・小説中に存在する主人公デッカードの自問自答の問いかけ


 「アンドロイドも夢を見るのだろうか?」(Do androids dream?)


 が題名のもとになっているようですが、


 そのままではなく、アレンジしてあって、電気羊を夢見るか、となっている。これは著者の言葉遊びでは。



・アンドロイドが進化していって人間に近づいていったときに夢見るのは電気羊ではなく本物の羊の所有で


 あるはずなので、やはり題名はおかしい。電気羊を題名に入れたのはやはり言葉遊びでは。















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