けんたが8月19日未明、虹の橋へと渡りました。
センターから引き取って8ヶ月と19日。
よく頑張ったと思います。
応援して支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。

センターにいた時は(けんたは持込ではなく収容犬でした)、収容ゲージの中で背を向けて、フードを一切食べることもなく、生きることを拒否しているかの様子だったと聞いていました。
1~2ヵ月前にはトリミングに行ったであろう、こぎれいな外見でしたので、捨てられた・・・と思うのはちょっと納得がいきませんでした。
でも、お迎えは来なかった。

けんたが生きたかったのかどうかはわかりませんが、一緒に暮らしている間、帰宅した私を小躍りで迎えてくれたり、食事の支度をしていると、大きな声でワンワンと吠えて待ちきれんばかりに足元で要求する姿は、少なくとも生きていることの証であって、ここにこうして存在することがとても大事で愛おしく思ったものです。

けんたは寿命を全うして天国に旅立ちました。
いつも我が家にいた子とのお別れは、私一人で静かに送っています。
人前で涙を見せるのは苦手なので、そっと二人で会話しながら。
けんた、またいつかどこかで会いましょう。
次は幸せいっぱいのキミに会いたい。

けんた天国へ 


けんたが亡くなる日の前日は、午後から深夜まで、ずっと事務所でミーティングでした。
午後~夕方は、埼玉センターからの引取を再開するにあたり、埼玉在住で責任者となっていただくスタッフと役員とで、引取の手順や重要事項を検討。

それから夕方~深夜には、役員四人で今後の引取について、議論を交わしていました。
今救える命、今救いたい命、そのためには、費用がかかっても病院預けにしてでも、引取をしたい私。
運営資金が乏しい現状、無理をして引取をしないほうがいい、病院預けは費用がかかるのでそれには賛成できないという役員の声もあり・・・・
誰か預かり出来る人があればいいが、1人で何頭もの犬猫を抱え込むことの危険性と負担、それを考えると、費用がかかっても病院預けを利用することのほうがメリットは大きい。
じゃ、預かれる人がいなかったら、引取を見送ったら?引取を延期したら?
いろんな考えがある中、結局、全員が納得する結論は出ませんでした。

私は常々、スタッフの皆さんにはお話をしてきました。
私たちの活動に、必要以上のお金は必要ないと。
なので今、使えるお金があり、助けられる命があるなら、それを躊躇する必要があるのか。

そうはいっても、高齢・病気の子たちを多頭抱える団体ですから、継続した治療が必要な子も沢山いて、新たに引取をするためにかかる費用も考えておかねばならず、安心出来る潤沢な資金など現実は無いのです。
なんとかなる・・・で今までやってきましたが、5~6年前、本当にお金が無くなって、引取が一時ストップした時期がありました。
私自身が多頭の犬猫を抱えこみ、世話だけで大変で、疲れ果てて、とても会の事務処理にも手が回らなくなって・・・そんな時期もありました。
みんな、それを知っているから、心配しての苦言だということも重々わかりながら、引取出来なかった子が翌日死んでしまったり、引取を延期したがために状態が悪くなってしまったことも現実にあって、見送るなら私が手元に置くから引き取ると何度も主張もしてきました。


今でも忘れられないのは、千葉センターの最終部屋にいたパグのおばあさん。
小さな子で、保健所移送で送られてきた子でした。
その日、夕方近くにセンターに行ったとき、最終部屋にいました。
検疫室はいっぱいで、連れて帰るかどうか躊躇し、預け先を含めて明日の朝に連絡するから処分を待っていて欲しいと伝えてセンターを出ましたが、翌朝には他の犬に咬み殺されてしまっていました。
一瞬のためらいが、結局、その子の命を無くしてしまうことになった。
もちろん、このパグのおばあさんだけでなく、最終部屋には、中型犬以上の大きな子たちもたくさんいたので、決して、この子だけが可哀そうなことだったというわけではありません。
でも、自分たちの手の届くところから、救える命から1頭ずつ・・・
それだけのことしか出来ないけれど、それが私たちのポリシーであり、苦しくても続けていきたいことです。

けんたも見送っても仕方ないのでは・・・と言われていた子でした。
この子を救うなら、他に救える命があるかも知れない。
でも目の前の子を見送って、その次に救えるかも知れない命と天秤にはかけられない。
目の前の子の今を大事にしたい。
けんたも、短い間だったけどちょっとは楽しいことがあったよ、って思ってくれたかな・・・。

パピヨン♀モアちゃんも幸せだったね。
keikoさん、応援してくださった皆様、ありがとうございました。


これからも目の前の命のために頑張ります。