…すみません…少し専門的な話しが通じないと、
このブログは全然面白くないと思います。
ですが、音楽で生きている私たち(私も入れるか?)
真剣に専門として取り組んでいた音楽関係者の姿。
コートヤード・マリオット銀座東武ホテルで、
日芸音楽学科の同窓会があり、参加しました。
同窓会出席は2回目です。
2019年3月。
この時は別館(練習棟)で一緒に楽しんだり、
オケの授業でご一緒した仲間に会えて嬉しかった。
去年は失念してしまいました。
今回は90代の現役作曲家から卒業したての若い小学校の先生・情報音楽の若いピアニストと広い年代の人たちと交流することができてとても楽しかったんです。
さらに同窓会長の企画で、プチ演奏会もあって、2時間なんてあっという間でした。
受付はコース(専攻)別。
ここで卒業年度+専攻+氏名(本姓・旧姓)
名札をいただきました。
中退・在学中は空欄あり。
よく見ると5年で卒(前年度の卒業扱い)とか院卒(学部在籍がわからない)で
幹事たちも調べるの難易度が高そうな気もするし、
話していて話した相手のパーソナル・ヒストリーを訊きだすきっかけになるから、これもいいなって思いました。
まず会場に入って、みなさんのファッションがステキでした。ご自身に合っているんです。時代とか流行とか関係なく「私」があるんです。さらに男性のネクタイも個性あふれていました。後で記念撮影を見ても精神が美男・美女。
最初、開会前に話していたのは初めましての後輩ばっかり、または大先輩。とりあえず初対面のご挨拶。
作曲・理論は入口近いテーブル。
幹事さんたち準備中。
同じテーブルの理論は少し学年の近い男性はベートーベン。丸山桂介先生のゼミかと思ったら後任の先生が指導教官でした。ちょっと先輩はオペラ。ヴェルディの楽曲分析。すっごくかわいらしい女子後輩は義太夫。ばばあ私は音響音声学。我々の時代(昭和)は音符を分析し解読することが音楽理論だったのですが、時代が変わって音そのものを扱わないし、論文に譜例も載っていないものも増えました。いろいろ考えることができました。
採譜したり楽譜を貼り付けたりソナグラフをかけたりって今の時代なら全部コンピュータで簡単なことも手作業だったんだなあって。
こういう手作業の時代でしたから研究をすすめるって労力がものすごかったなあって。
同じテーブルの作曲は大先輩昭和33年卒=93歳。父(故人)と同じ年。現役で定期コンサートを続けて60年。後輩の作曲の女子に「この時代の日芸作曲は全盛期で『作曲の日芸』と呼ばれていたのよ。毎コン(毎日音楽コンクール=現・日本音楽コンクール)で作曲上位は芸大じゃなくて日芸が占めていた時代です」といったら、後輩は「そんな時代もあったんですね」
大先輩「私の同級生も入賞していましたねえ」
大先輩「実は私も3回出していて、楽譜審査では通ったのですが、2次審査で『演奏不能』ということで落とされました。この話しに他の先輩も入ってきて、
「あの当時の演奏不能は演奏レベルがねえ…(低い)」
現在2次審査も楽譜ですが、どうやら当時は試演していたのだろうなと思いました。今の審査?コンピュータにかけているのかしら?
御年93歳の現役作曲家田口順一大先輩と。
本当の親子みたい
次回の彼の演奏会はぜひ拝聴したいと思います。
女子作曲。師匠女性教授。
彼女は、おそらくパソコンも使っていそうだと思ったのでAIはどこまで自分の作品に納得いく手伝いができるのかと訊きました。
彼女は「私はオーケストラ作品を書きたいんで(響重視ってことでしょうね)音量調整とか作品の確認で使うんですが、まだまだフレーズレベルなのでこれを使うより創作に集中したいです」
確かにプロンプトのレベルを上げるなら手作業でやりたいことがいっぱいありますよね。
これは私の今の仕事の教材作りにも共通します。
それと「手がきで書いていたスコア(総譜)はパソコンで打てるのでそこから音を確認できるけれど、やはりこれは過程ですね」
なるほど…AIは否定も拒否もしていないけれど、
肯定も自分がAI技術積極派でもないってことなのね。
この後テーブルを移動して、
音楽教員、同年代と話しました。
そして衝撃的な思い出は、
当時の私は「過激派」だったとされていたなど、
この「過激派」に関して、
ここでは話題にならなかった
私が関与していない色々なことも思い出しました。