具体化作業は、非常に、と言っていいほどスムーズに進んだ。
展開案と予算表とスケジュール進行表を、俺は一週間で作りあげた。
そのタイプ印刷があがるやいなや、常務はそれを持って会社を飛び出し、三時間ほどで阪神・阪急双方のOKを取ってきたのだ。
あまりの早さに、俺は驚いて質問した。
「催眠術でも使って、だまくらかしたのですか。それとも、秘伝奥義でもあるのですか」
「いいや何でもないこっちゃ」
常務は、扇子をパタパタさせながら言った。
「OKしてくれへんかったら、スポイチの社員全員が、お宅の電車の中でウンコちゃんする言うたった。ほんまに臭い話より、うさん臭い話の方がまだましや言うて、一発OKや」
「まるで、作ったみたいな話ですね」
「ほんまやな、アハハハハ。それより、後をうまいこと頼むで。ワシ、日本刀背負て仁王立ちしたいからな」
実施案ができて、当事者がOKを出しているのだから、その先に何の障害もあるはずがなかった。
協賛広告主が、ワッとたかってきた。
その数三百八十社。
ナショシタ電器。
イチノトリウイスキー、サバジストンタイヤ、見本航空、慶応製菓などの大スポンサーから、小は西宮市爪楊枝販売店連合会、羅宇仕替屋協同組合甲子園支部というものまであった。
遂に広告部長はどなった。
「おい営業マン、もう外廻りするな。
これ以上増えたらややこしてかなわん。
何、鋳掛け屋組合芦屋出張所も協賛したいてか。
オッタン、そらいったい、どういう目的や」
媒体も黙ってはいなかった。
電波より速く局の営業が飛んできて、テレビ独占中継権を争った。
勿論、阪神・阪急の関係から、旭光と浪速に決まった。
こうして、態勢は整った。
一般発表が、オールスター戦の初日を選んで行なわれた。
記者会見があった。
インタビューがあった。
パーティが開かれた。どんどん社告を出し、特集記事を組んだ。
テレビが伝えた。ラジオがわめいた。
週刊誌が書きたてた。
すばやく、大きく、反響が出た。
「土地田畑たたき売っても、その電車に乗りたい」というハガキが殺到した。
現金書留が届き、開いてみると「十円やるから乗せてくれ」と書いてあった。
タイガースと縫いとりをした、レースのハンカチを送ってきた。
「彼らの舞台を、もう一度見たいのです」何かの勘違いらしい。
「温泉地ならいざ知らず、教育文化都市西宮で花電車をするとは」という、一主婦とかいう手紙も舞い込んだ。
何しろべらぼうな郵便量だ。
遂に、大阪中央郵便局は、区内宛の郵便物をまず全部スポイチに運びこみそこで仕分け業務をすることになった。
新聞発送トラックとともに、赤い郵便トラックが繁雑に出入りをしはじめた。
兵庫県警察本部のお偉方がやってきた。
何事だろうと応接室へ通すと、坐るやいなや、
「時節柄、そういう催しをやるなら、やはり交番の方にも届けてくれんければ」と、その金ピカ胸章は言い、さんざん言ったあと、
「ときに、優待券とかは出されんのですか。
実は、息子が阪急ファンでありまして・・・・・」と、額の汗をぬぐった。
興奮の輪がひろがり、混乱も若干起きてきた。
阪急三番街納涼売り出しセールに、景気づけとして呼ばれたデキシーバンドが、「タイガー・ラグ」を演奏したので、集まっていたお客から詰めよられた。
バンドリーダーが気転をきかせて「聖者の行進」にチェンジし、「これは勇者の行進という曲です。阪急強いなあ、バンザイ」と両手をあげたので、お客も納得して、祝儀袋を投げてくれたという。
阪神ファンで有名な上方落語の若手、桂俊腸も災難に会った。
ラジオのDJ番組で、時間のほとんどを使って打倒阪急をまくしたて、
「私ァ、師匠春団地に破門されても甲子園へ通います。
そらァ、ここだけの話ですけど、世間で言うてもろたら困りますけど、阪急なんか応援しなはんなや。あそこ応援する人アホばっかりですわ」
などと言ったため、俊腸を降ろせという電話がジャンジャン鳴った。
番組を終えて局から出ると、四方八方から玉子やトマトが飛んできて、俊腸は赤白黄まだらの顔で逃げまわったという。
こういうことが、いちいち新聞ダネとなり、その話題がまた次の事件を呼ぶという具合である。
一方、関西経団連もこの状況を黙視できず、特別研究会を開いた。
銀行、大企業、商社などのトップクラスが集まり、「今津線シリーズと90日分石油備蓄計画の兼ね合いについて」というテーマで、カンヅメ講義を受けた。
北浜証券取引所では、阪神・阪急系の株が異常な高値を呼んでいた。
銭田監督が「勝算あり」と言っただけで、阪神株二百三十円を記録し、すかさず阪急も田植監督に強気の発言をさせて、二百五十円に持ち込んだ。
もう、ペナントレースはどうでもいいような状態だった。
両チームとも、勝率九割台で独走しており、リーグ優勝はもはや確定していた。
人びとの興味は、ただただ、今津線シリーズヘと向けられていた。
機を見て逃がさぬ日本商人。
協賛広告主が、どっとばかりにキャンペーンセールを開始した。
「鼻カラーで日本シリーズを観よう!カラーはナショシタ、鼻カラー」
「イチノトリレッドに、いま、野球ボールがついてます。ついてくるう、ついてくる」
「いい旅しよう、MALパック。見本航空ではただいま、MALパックお申込みの皆様に、甲子園の土プレゼント」
これをテレビや新聞でジャンジャン流すのだから、ポパイにホウレン草を食べさすようなもので、ますます興奮が高まってきた。
間隙をぬって、ひと儲けをたくらむ奴も現われた。
「ズーリシンセズマイ」という言葉を、商標として登録済みだ。
「今津線シリーズ」を横書きで使うなら、商標権の侵害だから使用料を払えと言いだしたオッさんだ。
黙殺していると、訴訟を起こすと言いだした。
両チームの合言葉というものまで、どこからともなくひろがってきた。
「虎の威を借るタイガース。無礼打ちでいけブレーブス」
「猛虎攻めても神風吹かず、ブルブルふるえるブレーブス」
ドタバタしながら、時が過ぎていった。


つづく