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写真はGRD2で撮ったもの



今職場のコから借りた
Y氏の隣人
って漫画を読んでいる
けっこう古い漫画だけど
これ読むと
平凡、普通、の幸せや
幸せばかりを求めて
手に入れると
必ず後から不幸がやってくるってこと
幸せって言うのは平等にあるんだってこと
いろいろ考えさせられる

わたしの人生は子どもの頃から
波乱万丈で
けして平凡ではなかったと思う

でもわたしは運が悪いとは思った事がないw
どちらかと言うとツイてる。と思っていた

ある日友達に
「いや、十分ついてないよ」と言われて、感覚とは人それぞれだなぁ…と思った[みんな:01]




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昨日アメトークで小藪さんが
カメラやレンズの機材を見ると真剣さがわかる。と言っていたのを聞いて
なんか違和感を覚えたわたし。

何故かと言うと
わたしは写真が好きなだけで
カメラが好きなわけではないから。
機材の自慢をして
たいした写真を撮れない人が苦手なのだw

そのことでちょっとTwitterでも口論?ぽくなってしまったけどw
それはまぁいろんな意見の人がいるのは当然だし


Twitter以外の場所でも
とてもとても親しい人から機材が良いと格段に写真も変わると反論をいただいた。

Twitterでもその別の場所でも反論された人には「そうだね´◡`」と納得したようにしたけど
実際わたしは全く納得していないw

過去に花火大会の日
すごい機材を持ち込んで撮った「え?」というひどい写真と
同じ日にコンデジ(GRD)と紙(だったかな?)を使って素晴らしい写真を撮ったカメラマンさんの写真を見ている。


写真を見て感動したり
ぐっときたり

あくまでも記録としている。と、いう人のポリシーも、それはそれで納得出来る。

写真は大好き。

自分の撮った写真も好き。

あたしは素晴らしい機材を使ったような写真を別に撮りたいと思わない。

ココロに残る印象的なものを
切り取って記録したいだけ。
どう切り取るか
どんな色に撮るか
だけこだわる。



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たまたま今日
ペットを亡くしたことによって体調を崩している人をふたりみた。

それで昔から自分なりに思っていることを、ふっと思い出した。

わたしは29歳で母親を、33歳で父親を亡くしている。
母親が亡くなったときは泣いていない。自分で葬儀をあげなければならなくて何も考えられなかったのと、何年も話も出来ない状態だったので覚悟が出来ていたのか…
父親の時は短い闘病中が辛い事が多くて何度も泣いたけど、実際亡くなったときは一度しか泣いていない。
その時も
「両親とも亡くしてさみしい。私どうしたらいいの?」とは、全く思わなかった。
何故泣いたかと言うと
まだ三歳だった初孫(姫ね)を当然のごとく可愛がっていたので、定年退職して楽しく孫とも思い出を作るはずだったろうに…「かわいそうに」と思ったから…

夫にへんな腫瘍みたいものが出来た時も(結局はただの脂肪腫だった)
もしや?と思ってコッソリ泣いた事がある。
それも「わたしを置いて死ぬなんて!どうしよう!」などと思うわけもないw
そこもまた
こんなに姫を愛してるのに別れなきゃないのかしら?「かわいそうに」だった…


どんな場合も
「わたし」はかわいそうではないのだ。
亡くなった人がかわいそうなのだ。

でも
もし「わたし」が死んだら?

「わたし」は大丈夫。かわいそうじゃないから。心配いらないよ、

ただ「わたし」を無くすと
大変な人たちもいるわけだ。
その人たちが「かわいそう」なのだ。
そこが心配だなぁ…



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ワタシはうたがすきです
いろんなうたを聴きます[みんな:01]

誰かが「いいよ」と言えば
とりあえず
聴きます
嫌いなうたはないと思う
興味のないうたはあるけれどw

今大好きなMr.Childrenも一年前までは全く興味がなかったの
ふとしたことがきっかけで聴いて
大好きになりました[みんな:02]


MINMI、lecca大好き♡
サンボマスター、斉藤和義、ナオトインティライミも好きだし
福山雅治はかっこいいし←えw

ゴールデンボンバーだってももクロだっていいと思う[みんな:03]
なんでもコイ!ww

うたもそうだし
対、人間もそうだと思うけど
嫌いな人や嫌いなうたがたくさんあるより
好きな人や好きなうたがたくさんあるほうがhappyに過ごせるよね[みんな:04]




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