こんばんは、心屋カウンセラーのキミちゃんです。
ゴールデンウィークも終わって通常の日常が戻ってきましたね。
先日はお休みを利用して、日帰りバスツアーに行って来ました。
静岡県のお寺「秋葉総本殿 可睡斎」
まさにトイレに神様がいらっしゃいます。
そんな歌あったよね~(^^)
明治時代に作られた時から水洗トイレなんだって、流石、お寺のトイレ綺麗
あのね、トイレ特有の臭いがしないの!
あんな心地よいトイレは初めてビックリだよー。
ホントはねこのお寺、お花の名所で牡丹と芍薬を見る予定だったんだけど、急に暑い日が続いて、おまけに前日の豪雨でぜーんぶ散っちゃったの!Σ( ̄□ ̄;)
まーしゃーないよね~。
その代わりお寺の中をゆっくり見学出来ました。
このお寺、徳川家康さんとご縁の深いお寺さんでした。
このお寺の可睡斎ってお名前も、時の住職が家康さんのまえで居眠りしたエピソードからきているそーな。
なんだか家康さんの懐の深さと住職に対する暖かさが感じられて、素敵だなーと思いました。
さっき、お寺のトイレが快適って書いたけど、なにも快適と感じる事って場所だけではないよね?
あなたは、どんな時、どんな空間、どんな心持ちが快適だって感じますか?
私、最近まで快適と不快の区別がついてなかったことに気がついたの。
どういうことかというと、
例えばね
人にどういう人間に映っているのか常に気にする癖
今やれば済むことを先伸ばしする癖。。。
心がいつも逃げてたから今を感じられなかった。
みんな、それぞれに色んな前提を持ってて誰だって全てに完璧、快適って感じてる訳ではないと思う。
不快と思う場所にいるのなら、そこから遠ざかればいい。
自分から変えていいのに、なのに色んな言い訳や言い逃れをして、その場から離れようとしてなかった(○_○)!!
周りの人とうまく波風立てないように、この快適、不快の感覚を心の奥に封じ込めてたんだな。
私、何が不快で快適なのか分からなくなってたんだな!!
嫌なものは嫌だと叫んで無かった。
こんな自分に自信のない私が。。。
この人が!この場所が!この距離感が!このタイミングが!嫌だと感じちゃあ駄目だと思ってたんだ( TДT)
もう、嫌だって言っていい!
人に好かれる為に労力を使うより、自分自身を満足させるために労力と時間を使おう。
自分を大切にするって、こういうことかな?!って思った。
快適を私に与える許可がようやく出せたように思います。
人の目を気にしているようで実は私しか見てなかったI
ひゃー恥ずかしい。
人からどう思われるかよりも、これが好き
これが快適って思える気持ちをこれこらは自由に表現したいな。