昨日、9月8日維新政党・愛知県本部主催の依佐美送信所の見学会に参加致しました。

 依佐美送信所は、大正時代に海外との通信手段を外国所有の海底ケーブルのみに頼っていたことに危惧した逓信省が、無線送信所の必要性を感じ長波の電波送信を目的として建設されました。これにより、1万キロ離れたヨーロッパへの無線電波の送信が可能となりました。「新高山登レ一二〇八」発信の地と右翼らしいタイトルですが、依佐美送信所が建設されたのは、大正時代、反戦運動が盛んな頃で海外への通商、外交等平和目的でした。開局した頃から、雷による空電の妨害を受けやすい長波よりも、低コストで雷の妨害を受けにくい短波が主流となり、長波は補完的に使用されるようになりましたが、大東亜戦争が始まり、海面下の潜水艦まで届く長波が再び脚光を浴びるようになりました。「新高山登レ一二〇八」の発信が依佐美送信所からだというのは、潜水艦の乗組員の証言により、受信した周波数が17.4KHzであり、当時依佐美送信所だけが発信できたことから判明したそうです。指令は、東京の送信所から有線で名古屋無線電信局(現在の栄、丸栄の西側で名古屋郵便局の中にありました)へ、名古屋無線電信局から依佐美送信所へ、依佐美送信所から潜水艦へ無線で送られました。

敗戦後は、GHQに接収され米軍の潜水艦への連絡に使われていましたが、米ソの冷戦が終結し、平成5年廃止されました。鉄塔の解体が、平成8年7月~平成9年3月の間で行われ、現在は依佐美送信所記念館となっています。

 

 

依佐美送信所記念館

 

 

 

依佐美送信所の送電設備は、平成21年にIEEEのマイルストーンに認定されました。マイルストーンは電気・電子における歴史的偉業を認定する賞です。

 

記念館の案内人、鈴木さんと説明を受ける新風の党員

 

歴史は、国家の記憶です。大東亜戦争について賛否両論あるのは当然のことですし、聖戦であったと全てを肯定することにも疑問を感じますが、戦後70年以上経った現在においても、諸外国や反日主義者に非難され、歴史を捏造され続け、ゆすり集り外交に利用される事態は終わらせなければいけません。例え、戦争に負けても日本人が民族の誇り、気概を失わなければ悠久の歴史を紡いできた日本を未来まで永続させることができると信じています。