今日も遊びに来てくださってありがとうございます
あの地獄の住み込み生活も高速道路ができる事で立ち退きになり中2の冬休みに転校する事になった。
市営住宅で母子家庭。
親子で名字が違う。
これが当時は珍しかった。
そんな些細な事でイジメの標的になった。
帰宅途中の公園で待ち伏せされぼこぼこにされた。
教科書も荷物も捨てられた。
座るイスや靴に画びょうを置かれたり
トイレに連れ込まれ水浸しにされたり。
弁当に入れたアジの干物が廊下に飛んでった事もあった。
この中学は荒れていて授業中シンナーやってる奴もいた。
私は母親からあんな目に合いながらも生まれてきて迷惑だった私を1人で育てなくてはいけなかった母親がかわいそうだと思っていたからひたすら我慢し耐えていた。
(母親は私がイジメにあっていたことを知っていて「アンタより知ってて黙っていた私の方が辛かった」とのちに言っていた。)
母親は自分が食べたくて買ってくるお菓子などを私が食べると怒る。
うちには車がなかったから母親は自転車で買出しに行く。
「私が重い思いして買ってきたのに私が買ってきたのものを何でアンタが食べるのか!」と怒る。
だから私は自分が食べたいものは自分で買うしかなかった。
将来、離婚しても子供を養って行けるようにユメも希望もなく中学生の時、進路を決めた(現在は離職していますが医療従事者です)
高校進学の時に当時は戸籍謄本が必要だった。
役所でもらってきた謄本を見て母親が実母だと知ってショックだった。
なぜ、本当の母親が実の娘である私にここまで非情な事ができるのかと思った。
継母ならまだ救いがあった。
高校は母親のために片道2時間もかかる行きたくもない県立へ行った。
私学はお金がかかるから絶対ダメと言われていたから。
毎朝、母親の弁当と自分の弁当を作って母親を起こして登校する。
お昼に「今日のお弁当なにかなー」とお弁当を開けている友達が羨ましかった。
帰宅しても家事が待っていた。
学校にバレないようバイトもしていて勉強する時間なんてなかった。
家には生後3日で亡くなった兄の位牌が部屋の隅でホコリをかぶっていた。
私はフツーの人が当たり前にある事がないんだけど、そいやーお墓参りってものにも行ったことがないなぁと不思議に思い母親に聞いた。
すると「お墓なんてどこにあるか知らないから行かなくていいの。」と。
じゃあ、お兄ちゃんのお墓は?と聞いたら
「あぁ、引越ししてるうちに骨がどっかにいって無くなった。」
お兄ちゃんはお墓もないんだ。
見た事もない兄を哀れに思った。
まぁ、お墓なんて生きてる人間の満足のためだけのもんだから死んだ人にとっちゃどーでもいいもんなんだけどね。
物心つく頃から夢も希望もなく、神社に行けば「早く死ねるように」としか祈願しなかった私が高校の時にどうしてもやりたい!と思えるものに出会った。
でも母親に大反対された。
「夢なんてくだらないもん持ったって食っていけないの!」そんな理由だった。
私はずっと
「アンタのためにどんだけ私が人生犠牲にしてきたと思ってんの?」
「アンタさえいなければ」
「早く死ね」
「アンタはおろせなかったか仕方なく産んだんだよ。」
呪文のように言われ続けてきた。
私は自分を犠牲にしても母親を「かわいそうだから」と見捨てることはできなかった。
早く自分で働いて稼ぎたかった私は大学進学はやめた。
就職も決まり働き始めて職はハードだったけど、お金に自由になり楽しかった。
家にももちろん毎月お金を入れていた。
母親から逃げたくて寮に入ろうとしたがやはり母親に大反対された。
ある日、職場の仲のいい先輩に連れられディスコに行った。
ディスコってのは今で言うCLUBの事。
元々、踊る事が大好きだったからディスコで踊るのは楽しくて楽しくて。
踊っている時は、このまま死んでもいい!と思う程踊る事が大好きだった。
将来はダンサーになりたいと思っていた。
母親に反対され阻止された私が唯一やりたいと思ったものはダンサーへの道。
夜勤明け以外はほとんどディスコで踊っていた。
断っておくけど私のダンスはパラパラとかくねくね腰を振るアホ踊りでなくホントのダンスです。
そのディスコで前夫と出会った。
今から30年前の話。
厚かましく参加しています。
お手数ですが応援よろしくお願いします。
みなさんも私も笑顔で過ごしましょう♡♡
あーっ!お腹空いた!
ここのもつ鍋おいしいんだなー♡(°´ ˘ `°)/
じゃまたねーヾ(*´∀`*)ノ