2月4日納骨にいってから

毎晩

納骨堂が脳裏に浮かぶ

実家は
浄土真宗なので大谷本廟 

 


バスの中で

妹がこんな話をしてきた


仏壇の中から

ご先祖さまの名前が書かれた冊子が

でてきた…と


1893年に63歳だったか?で

亡くなった

和平おじいちゃん


今から130年前になる


その

おじいちゃんしか

名前が読み取れなかった…と



あとは達筆すぎて

わからないそうだ


そう、和平じいちゃんの

名前をつぶやくようになってから


私の意識が幅をもった気がするのだ


いつか

私も誰かに名前を

呼ばれる気がするのだ



違う、いつかの

私が私を呼んでるのだ



横と縦にも

意識が広がっていく


私たちは和平じいちゃんの

血が受け継がれて

今に至る


何か思い出したいような

夢うつつで

ふわふわしていたいような



目の覚める前のような

感覚が続いている



そして毎日

何か思考しているようで

何もいていない



また

仏壇の冊子をのぞいてみよう



そして今度は

子供達を連れていきたい

父と祖母が入っている場所



でもね


私は灰になりたい