浮世絵コロジーへ! | アジアヒューマンサポートのブログ

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アジアヒューマンサポートは、世界に向けてアジア人として何かできる事があると思い、教育支援、災害支援、浮世絵民間外交等行ってきました。まだ、10数年足らずですが、今は(社)日本国際芸術文化協会として、さらに幅広く活動も行っています。

『 時代はエコロジーから浮世絵コロジーの時代へ 』


琴の理りを習い、浮世絵を観る事で琴の音色同様に、人々の感情を楽しく穏やかにし、和らいで争いを止めさせるので、浮世絵芸術文化交流は、和道(やわらぎのみち)とした活動を日本最初に誕生した、『 聖徳太子の十七条の五憲法 』からも通な人なら先ずはご理解できると思います。※そう、聖徳太子とは中国からいろいろ学び帰り日本のお札となった人物ですね。


即ち本物のより良い芸術は、政治や憲法、人の進むべく道を正しく導く為に、人間のあるべき姿勢を示す、法の上に立つべきものとしての道理として考える事ができる。


琴の音色を聞くとか、浮世絵を観る事で、心が柔らぐように和らぎが特に現代人の中国と日本には大切ではないでしょうか?


人々の正しい在り方を示し、行う道は「五典」即ち人の当然の五常の倫、父子の親しみ、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信として、何事も相手と先ずは和らぎ、共に助け合い調子を合わせて行くと良いとある。

と、1400年前の憲法を参考にして、およそ200年前の浮世絵を用いて現在から未来へ平和へ向かう為に国境をも時代も超えて柔らいで、和らぐ事を行動する必要があると考え実行している訳です。


自然界にはエコロジーが必要のように、現代人にはそのような『 浮世絵コロジー 』が必要のように思います。

浮世絵のある江戸時代は何処のどの時代よりもエコロジー社会だった事もあり、自然界を大切に想い相互扶助や人情味溢れる社会だった事から、現代版江戸時代の創造が必要と考えるのです。


今風に例えるならば、そのような人達を勝手に浮世絵コロジストと呼べるかと思います。『 少し強引かな? 』



さらに、あかすと、

『 民衆の理想社会を形成する最先端メディアだった 』

浮世絵は当時の理想社会の未来を形づくるメディアだったのです。

現代のアーティストと自称する人達にどれだけ、このような理想社会の未来を形づくる思想と作品作りにとりかかってるのでしょうか?

芸術家とか、アーティストにどれだけ、そのような認識を持つ人達がいるのでしょうか。

そのような事で、浮世絵を観てみますと、

浮世絵から江戸時代の社会が天国のように映るのは、当時の人々の生活が豊かだった事の証明でもあります。

そして、汚職の少ない政治であった事。

そして、高い技術と職人溢れる社会であった事。

そして、人情溢れる相互扶助や識字率のみならず、俳句や唄でのコミュニケーションが盛んだった事から推測しますと、

すなわち、芸術イン科学であり、芸術イン政治であり、芸術イン教育であり、芸術イン経済だったと浮世絵からも観察できます。

それでは逆に今の社会はと問われたなら?

江戸時代とは逆に、

芸術無き科学は、原爆を生み、芸術無き政治は、汚職を生み、芸術無き経済は、自然の破壊をもたらしました。
そして、芸術無き教育は、人徳の低下を、もたらしました。

このような事実は世界中の、メディアから残念な事に観て取れますね。

日本においては、トップの人達のお粗末な姿勢とは反対に、

一般の人々は、被災にあっても精神的には高いと世界には映った事は、江戸時代のDNAはまだまだ受け継がれている人々もいる事から、助け合いの文化は、誇れる文化だと思います。

このように、平和で知的で美しい社会形成を皆が願いまた、心掛け、着物等は機能的よりも、

自然と調和しながら、より美しいものに重点を置きながらそれでいて、孫の代まで長持ちするようなエコロジーを重んじる文化でもあった。

職人も同じく自然と調和しながら、最高の作品を残す事に専念し、また家屋等は何百年も住めるのが基本的な考え方であった。

今のように、すぐに買い換える等の考え方はもとより、使い捨て文化は存在しない。

もちろん、人材派遣のような職業的な仕組みはあったが、人を使い捨てのような考え方は存在しなかった。もっと家族的で、人間関係さえ美しさを追求し実践していた文化であった。

是非とも牛と一緒に浮世絵には時々人が暮らす様子が見えますが、牛や馬の顔の表情を観ると、笑っていたりしているのですね。

また、必ず草履を履かせています。

亜細亜以外の国々では家畜は田畑を耕す道具的な発想であった。

しかしながら、日本では当時、家畜は家族として存在していた事が浮世絵からわかる。

一緒に田畑を耕す家族だったのですね。

機械が耕す時代と比べて、効率は遥かに現代には及ばないが、

はたして、精神的文化はどれだけ当時の人々が高かった事か、想像つく人がいるのでしょうか?

タイムマシーンを作らずともこのように、浮世絵から当時の人々の生活や精神的文化の高さや、マインドが観て取れます。

ですから、人々は本来、人と人との交流も天と人との交流も、マインドで行うのです。

そして、時代が離れた人との交流も、国が離れた人との交流もマインドで交流するならば、教育の基本はマインドの向上と言えるのではないでしょうか?

そのマインドの交流も、言語や芸術を通して行なえるのです。

その為に言葉があり、芸術が存在すると考えながら、日本語を学び、芸術を学ぶとワクワクして来ると思います。

その当時の憂世から、浮世へと明るい社会へと願い、(浮世)となったのですから。

浮き浮き(ウキウキ)楽しみながら浮世絵を通して人生に生かせたら、感性と知性が対となった本来の教育へつながり、本物の実力が身に付く事となると思います。

このように、現代の教育のように、学術的のみを覚えて、(さぁ、年代と当時の絵師の名前を覚えて下さい!テストにでますから!)それって何の役に立つの?

これでは向学心が育つ方が奇跡に近いと思います。

ですから初めに観る!

そして、触れる!

うわぁ~綺麗!

それで良いのです。

このような興味が湧いて来て初めて探究心が芽生えると思います。

ですから、是非とも浮世絵を観る時は、知識が無いからわからない!なんて言わないで、とにかく心で感じるままに観る事をオススメします。

学者顔した難しい顔で見る事よりも、素直な本来の子供のような気持ちで感性で感じ取って下さいね。

非実用性のない知識を覚えるよりは、200年前の人々とのマインドで交流できる方が遥かに楽しいし、精神的文化が高い行いだとは思いませんか?

是非とも心と感性に訴えかけるジャーナリズムを持つ浮世絵を東洋の生んだ芸術を観てみて下さいね。

自然と調和した最高のモノを素晴らしいとした東洋芸術を誇れる文化のヒントは江戸時代に隠されている事がわかると思います。

単純に考えて、200年前の作品に触れる、そして今でも芸術品の第一線で展示できる事実。おそらく200年先でも。

時間をかけて出来上がるモノは芸術品に限らず、長い年月をかけて育った樹木で作った家は、何百年も持ちますね。

そして、何千年かけて出来上がった石等で作った家は何世紀も人々を魅了している事実を目の当たりにしているのではないでしょうか。

インスタントでコンクリートと鉄で出来上がった家を何十年のローンで支払う価値は本当にあるのですか?

このような事に浮世絵ひとつからでも様々な事が理解できてくると楽しいと思います。

「浮世絵の楽しみ方」を通して「人生の楽しみ方」に活かせたら幸いです。$アジアヒューマンサポートのブログ-__.JPG