平野貞夫vs.藤原肇 1

『無血革命』後の日本を展望 1 http://p.tl/B90y

国民の政治選択に政治家はどう応える

政治評論家 平野貞夫
vs.
国際ジャーナリスト 藤原肇



半世紀以上の長い歳月のなか で構築されてきた構造を変える ことは、普通であればそれ以上 の歳月を要する大事業である。 だからこそ革命が必要なのであ ろう。“無血革命"で誕生した 民主・社民・国新連立政権は、 困難な大事業の推進に取り組ん でいるが、その理念・意識がど のようになっているかが、大事 業の完成にとって重要な位置を 占める。そうした事象に精通し た2人が忌揮のない言葉で語っ てくれたのが、本対談だ。今号 を第一回として数回にわたって お届けする予定である。



民主党大勝の選挙を海外では革命と捉えた
本誌 本誌 本日はお忙しいなかをこの 対談のために時間を割いていただ きありがとうございます。早速、 本題に入りたいと思いますが、先 の衆院選で政権交代が実現したの を機会に、日本の過去、現在を見 つめながら、日本のあり方や展望 を語っていただけたらと思ってい ます。折角、政権が交代して新し い流れができるのではないかと期 待したいところなのですが、メディ アなどの反応には、そうした期待 感がみえません。いかがなもので しょうか。

平野 私に言わせれば、そういう 発想がもう古い。もっと深刻な問 題がある。それで折角のご提案で すから、まず、藤原先生から政権 交代についての感想を聞いてみた い。

藤原 実は、私が選挙の結果を見 たのはヨーロッパに行く途中のシ ンガポールの空港でした。直ぐに キオスクで新聞を手にしたら、中 国語の新聞は“「回天」”と書い てあった。英字新聞には「レボリュー ション」と書いてあり、これは革 命だと、外では革命と理解してい た。だから、これから革命のやり 方をきちんと行えば国民が幸せに なると思いました。
 ところが、日本の新聞の見出し の多くは「政権交代」でしかない。 革命はレボリューションというが、 交代はローテーション。日本の政 権を奪った民主党が、選挙に勝っ て政権交代レベルでしかとらえて いない。これはお粗末だなと思い ました。
 実は、レボリューションは天文 学用語の「公転」が語源です。そ れに対してローテーションは「自 転」。公転の“公”はいわゆるパ ブリックである。このパブリック の問題が日本でダメだったのは自 公政権だったからです。要するに プライベートなことばかりやって いた。民主党の人も“公”のレベ ルの考えに基くのでなく、“私”、 つまり“自”のレベルで考えて、 自分の利益で考えるなら困ったも のだ、と思ったのが第一印象でし た。

平野 その“公”と“私”の違い は大切な視点ですね。それと革命 という考え方は貴重です。

藤原 そうみると、世界にいろい ろ革命があったが、これから日本 は、最後にギロチンが出てくるフ ランス革命にしないで、英国の名 誉革命やアメリカ人がアメリカ民 主革命と言っている憲法を基にし た、アメリカ型民主主義の方向に 行くことが重要です。平野さんは 国内でご覧になっていていかがで すか。

平野 まさしくそこが問題です。 選挙での自民党の壊滅的敗北、そ して民主党の歴史的圧勝。308 (獲得議席)は奇跡的数字と言え る。私が最初に感じたのは“無血 革命が実行された”という言葉だっ たが、その革命を成功させる、定 着させることは、具体的なことを言 えば政権のつくり方、そして新しい 政権の政治をどう世界に示すかと いうことであり、無血革命を成功 させるのは大変なことだと思った。
 一般のマスコミ、それから敗け た自民党、なんとか勝った民主党 の側も、あまりにも自民党の政治 が悪かったのでお灸をすえたと論 評した。学者もそう言っていた。 政治家のなかでも“無血革命”と 言ったのは小沢一郎だけだった。

歴史上の大事件を機にデモクラシーの完成へ

藤原 ところが鳩山首相は所信表 明演説で、「無血の平成維新」な どと寝ぼけたことを言っていた。 “維新”というのはファシストの 言葉です。権力内でイニシアチブ をどっちが奪ったかという時に使 われる。英・仏語に訳すとクーデ ター。鳩山首相は所信表明で「無 血クーデターをやった」と発言し たことになり、これではナポレオ ン三世と同じですよ。
 だから困ったな……と。この人 たちは意味論が全く分っていない。 要するに、理念がしっかりしてい ないから、所信演説で前半に折角 いいことを言ったのに、最後の所 で「画龍点晴を欠いた」のであり、 まとめとして実にいいかげんなこ とを言ってしまった。しかも、メ ディアも学者も誰もそれを指摘し て批判できなかったのが情けない。

平野 しかし、デモクラシーをど う完成させるか、ということ、議 会制民主主義をどう良いものにす るかという点においては、初めて 日本で民衆が選んだ政治選択でし た。日本の2000年というか2600年というか(笑)はともか くとして、歴史上、かつてなかっ た大事件だと思う。
 私が一番気にしたのは、革命と いう言葉を使う限り、私個人の意 見としては、国家を指導する人間 の意識の変化、向上が果たしてで きるのかどうか、これをやらなけ れば本当の革命にならないという ところです。

藤原 今、民主党のマニフェスト がどうかとか、予算をこうやると か言っているが、それは処方箋や 処置である。まず第一に、現在の 日本が病気だと診断して、これま での政治が、つまり自公体制がい かに暴政だったかを明確に指摘し なければいけない。しかも、それ を民主党の国会議員が理解して疾 患に取り組むためには、一番大事 な作業が正確な診断をすることで す。今まではどうだったか、今ま での日本が前近代だったことをはっ きりさせない限り、これからの日 本の社会が近代社会として世界に 通用する国としての方針も理念も 出てこない。
 その理由は、今までの自公体制 は宗教と政治が一体化し政教非分 離であって、日本は世界から立ち 遅れていた。要するに、文明の歴 史は近代が政教分離で始まったこ とを教えており、日本は近代にし なければならない。という人が民 主党の指導者として出てきて欲し かった。

平野 今のお話を私流に解釈する と、政治家だけじゃなく学者も含 めて日本人は歴史認識が基本的に ないのです。だから、現代という 時代がどういう歴史的段階にある のか、その中で人間を人間がどう いうふうに捉えていくのか。これ がないと私は、政治の議論は始ま らないと思う。これがまったく欠 けているのです。

藤原 その通りですね。

平野 1980年頃からそれが一 切ないと私は感じている。

藤原 いや、明治からではないで すか(笑)

平野 私のように政治の中にいる 人間の立場で言うと、明治生れの 政治家には限界はあったが、それ らしきものはありました。

藤原 そうですね、「四書五経」 をきちんと読んでいましたから。

平野 文明が分かっていた。

藤原 そう、日本人が西欧文明と 繋がる必要があった時に、明治の 人は大陸文明を識っていたから、 文明社会に乗り出すことができた のです。

平野 その通りです。

官僚化した政治家にできるか官僚支配打破

藤原 ところが、今の日本人は漢 文は読まないし、中国の古典を理 解しない。世界の古典ももちろん 読めない。教育水準もそういうレ ベルに達していない。だから、文 明から逸脱した文化のレベルでの 議論をして、文明の議論が行われ ていないのです。

平野 要するに、明治時代には人 間の在り方とか、国や社会の在り 方の根っこの部分を、平民でも指 導者でも誰でもが考えなければい けないという意識があった。だか ら、別に学問をしなくてもいいの だし、皆が学問をやれるわけじゃ ないが、それなりに考えようとし ました。
 ところが、私の体験から言うと、 大正生れの人たちが政治をやるよう になって、結局、技術論だけ。根っ こというか思想の部分、方向性とか 理念や目的というものを、明治生 れの人たちは学歴がなくても、そ れなりに考えて官僚に示した。ま た、昭和50年代の中頃までは官僚 がそれを理解して制度をつくった。
 ところが、昭和50年代の後半に なると、政治家は官僚の係長クラ スが知っている政策や数字などを 知ることが専門的だと思い、立派 な政治家だという風潮が出てくる んです。そうなると、制度の方向 性とか目的、理念を政治家が考え なくなる。
 これは資本主義の大きな流れと いうか、日本のバブル経済の流れ の中で、そういう現象が起きたの かも知れない。現状を何とか考え なければいけないということで、 官僚が考えざるを得なくなるわけ です。そこで官僚が政治家化し、 政治家が役人化してくる。
 衆院事務局時代の私は、最も政 治家化した役入の一人でしたね。 仕事は毎日、自民党や共産党、各 省庁も含めて国会の運営の制度あ るいは前例の問い合わせでした。 だから、毎日のように国家公務員 法違反をしていた。それをしなけれ ば国会が動かない。官僚側にもも ちろん族議員をつくったりする者も いて、民主党が敵としている官僚 政治の打破は大事なことではある が、現状、実現は大変なことだ。

藤原 官僚の中にも私利私欲で 動く人もいるが、誠実な人も沢山 いるから、国家は機能するのです。 私の全てを相似現象ととらえる目 で見ると、個々の中の役割を果た した人たちは、皆んなそれぞれ大 きさも違うし、タイムスパンも異 なっているが、少なくとも相似現 象としてパターンの形で捉えられ るのです。

平野 その相似現象が今、起きて いる。どういうことかと言うと、 官僚が政治家化したのは官僚にも 責任はあるが、政治家を選んだ国 民にも責任がある。ところが、民 主党はそういう思考をしない。鳩 山新政権で官僚を叩くとか、予算 の事業仕分けとか、いろんな形で 政治主導と言われることが、相似 現象として政治家が官僚化してき ていたものです。

英国に間接支配されるアメリカ資本主義

藤原 フランス革命でみると、貴 族と共にブルジョアがいて、農民 と共に商人がいる。こういうパター ンの中で、官僚の役割を貴族が演 じていると思う。その上に王様が いるわけだが、あの時期は絶対王 政から立憲王政に変わろうとして いた。それでは、立憲王政に変わ るパターンの中で王様に相当する のは誰かということに興味があっ て、私は米国でじっくりと観察し た。実はアメリカが王様をやって いたのであり、それが王様連合と 運繋していて、神聖同盟に相当す るのが国際金融資本で王様同盟だっ たわけです。
 その国際金融資本とかアメリカ がしたい放題して今、潰れかけて いる。
 しかも、アメリカの資本主義は 潰れて社会主義化しているが、英 国を中心にした国際金融資本が、 アメリカを間接支配してきた。私 はアメリカに30年住んだが、アメ リカは独立国の形態をとっている にしても、英国が間接支配してい た。アメリカは英国の手先として 戦争をやったり、金融を動かして いるように見えても、実は、弁慶 のようにヤリふすままであり、源 義経役の英国は奥に控えている。
 この間日本に帰ってきた時に、 ちょうど小沢一郎が英国に行った。 ところが、ジャーナリストは理由 が分からない連中ばかりで、中に は心臓の治療に行ったと言ったり していた。だが、私の眼には、英 国に相談相手がいるから飛んだと 見えた。英国でアメリカに対して どういう動きをすればいいかと知 恵を借りて、それが鳩山のアジア 共同体構想に反映したのです。い かがですか。

平野 要するに、無血革命が起き て、鳩山政権をつくってみたらど うもおかしいと小沢は痛感した。 官僚政治を打破すると叫んだ人間 が、逆に官僚化して、官僚のレベ ルでものを考え、官僚の意識で政 治をしようとしている。しかも、 国会を動かし権力を行使すること が、行政事務のひとつだという認 識があると、危機感を生んだ。
 小沢の考え方かどうか知らんが、 何かやはり、これではいけないと いうことを察して、小沢は9月の 後半にイギリスに飛んだ。おっしゃ るように、イギリスの統治や権力 行使の根っこが、どんなものかと いうことを探りに行き、特にアメ リカの扱いについての知恵を借り たのでしょう。

訪英から帰国した小沢が目指す「国会の改革」

藤原 私が旅行する時には、40年 前の昔の友達がそれぞれの国で閣 僚や財界のトップだから、彼等と 話をすれば、彼等のものの見方が 分かる。だから、彼等から答を教 えてもらわなくても、彼等の考え 方を探るだけで会う価値があるし、 小沢がそういうことを打診しに行っ たのではないかなと、相似象で理 解できる。

平野 その通りです。

藤原 世界のプロは、このように 相似象で見ているのであり、小沢 ならそれをやって当然です。

平野 それで彼が帰ってきて言っ たのは、「国会の改革だ」と。国 会を変えなくては308議席を取っ ても何もならん、何も変わらんと いうのが結論だった。

藤原 私が冒頭で、日本が非近代 であると断言した。そこから脱皮 するには、政教分離をきちんと行 うことです。それではじめて日本 は近代国家として国民の幸せのた めに政治は何をしなければいけな いかという出発点に立てる。そし て、前の政治が如何に悪かったか と、悪かった人は法治国家である 以上は、きちんと裁判で明らかに し、税金を八兆円注いで救った銀 行を十億円で外国に叩き売った行 為が、犯罪かどうかとはっきりさ せることです。
 これが革命におけるイロハで、 弾圧しろとかいうことでなく、悪 いことをした人たちは悪いことを したんだという形、いわゆる法を 破ったのだという形にしなければ 社会正義とか法における正義の問 題が抜け落ちてしまう。

平野 その部分、法に基づく支配 というのが、わが国では非常に問 題だ。特に、先の選挙で先生は3 50議席獲らなければいけないと 言うが、308人を獲った。これ は西松建設問題で小沢代表(当時) の秘書逮捕という、検察のファッ ショ化がなければ240という過 半数を巡る戦いとなったと思う。

藤原 そうですね。

平野 アメリカの資本主義の犠牲 になって、国民の生活がギリギリ になり困っているところに、自民 党のなかにも同じような人がいた が、小沢代表の件だけをやった。
 税金をでたらめに使った人たち を放置する限り、国民は納得しな いのだから責任を追及し、その上 で、日本を民主国家として再発足 させることが、民主党が遂行しな ければならない、民主革命のこれ らかの道だということで、鳩山政 権の今後の手腕を見守ることにし ましょう。




平野貞夫vs.藤原肇 2

平成の無血「民守革命」と成功への道 2 http://p.tl/yTMV
政治評論家 平野貞夫
vs.
国際ジャーナリスト 藤原肇



病理診断がないまま迷走する日本の政治
藤原 平野さんがおっしゃるよう に新政権の責任は、日本を民主国 家として再生させることによって、 国民の仕合せを実現する民主革命 の遂行です。そのためには、日本 の治療に取り組むための前段階と して、どのように健康を損なって 生命力が衰え、病気に蝕まれてい る状態を理解するために、正確な 診断をすることが先決問題です。

平野  それは当たり前のことです。 治療を始める前に診断するという のは、医学の世界では当然なされ ている手続きであり、診断なしに 治療するなんてヤブ医者ですよ。

藤原 そうでしょう。症状から病 気の原因を正しく読み取って、そ れから治療を始めるのが医学上の 必要手続きだのに、日本の政治に はこの診断行為が不在です。病院 の建物はあっても医者がいないの が、衆参両院で構成する日本病院 の実態であり、箱もの作りに熱中 した財政投融資型の政治で、人材 作りを怠ってきた欠陥に由来しま す。だから、診断書として私は 『さらば暴政』を書いたが、肝心 な診断を正確にやることを置き去 りにして、今の日本では如何にマ ニフェストを実行するかとか、予 算案の枠を決めたり削ったりする という、治療や処方箋に関しての 議論ばかりが盛んです。

平野  診断より手術や薬を処方す る方が金になり、医術が算術になっ てしまったのと同じ現象が、日本 の政治の世界を支配していますな。 政治家が役人化し官僚が政治家化 したからだと思うが、役人も政治 家も診断の意義が分かっていませ ん。

藤原 それはマスメディアが墜落 したせいです。小泉劇場を煽って 成功したことに陶酔して、その夢 から脱却できない状態が続いてい る。福沢諭吉が書いた『文明論の 概略』を読めば、「病理の診断は 学者の職分だが、治療は政治家の 仕事だ」とあって、これはプラト ンやアリストテレスの時代からの 原則です。本当は学者の代りに知 識人と言うべきであるし、その中 には学者、ジャーナリスト、評論 家だけでなく、公的領域に関心を 持つ市民も含まれるが、それらが 御用化して弱くなったために、御 用学者や御用評論家ばかりが増え ています。しかも、民主党内閣が 革命を遂行する意欲に欠け、政権 交代のレベルでの現状認識しかな く、政権を維持することに汲々と しているために、徹底的な批判が 行われない状態が続いている。自 民中心の体制が議会民主主義を踏 みにじり、パブリックである公的 政治を軽視し続けて、私的な利益 のために利権漁りをした結果、暴 政が支配したのに未だに総括もな しです。

平野  それは今までの日本の政治 のやり方が、政権交代をさせない し行ってはいけなかったので、議 会政治として機能しなかったせい です。だから、国民は野党のため にあるという原点に立ち戻って、 議会を議論の場にすることが必要 なのです。


議会政治の基本精神

藤原 議会政治は話し合いが基本 であり、異論を出し合って接点を 見つけて合意し、より多くの人が 納得できる形でまとめて、「最大 多数の最大幸福」を求めるための 場です。平野さんの前では「釈迦 に説法」になるが、議会政治の基 本は議論を戦わせて、何に優先順 位と重要度があるかを決め、もし 話し合いで合意に至らない時には、 多数決原理で決断を下すことにな ります。だが、多数を取れば良い というのではなくて、少数意見も 尊重しなくてはならないが、強行 採決はその手続きを無視した暴挙 です。この民主主義の精神に反し 強行採決に明け暮れ、国民に愛想 をつかされた安倍政権は、敵前逃 亡に等しい形で政権を投げ出しま した。

平野  政治プロセスの中では採決 を急ぐ時もある。だが、現在は強 行採決などをやっている時代とは 違うし、そんなことは無責任で国 民への裏切りであり、無血革命を 行う目的に反している。だから、 当面の課題は自公体制のやり方を 改めて、議会で徹底的に討論する 原点に立ち戻り、真の民主政治の 議論を実行すべきです。

藤原 ところが、予算の通過させ るために強行採決を辞さないと、 民主党は無責任なことを主張し始 めており、これでは前の自民中心 のゾンビ政治と同じです。日本の 政治家が議論や討論が下手な理由 は、問題をじっくり観察した上で 分類して、二項対立の形で捉えて 分析することにより、パターン化 するのが苦手なせいです。

平野  その議論は別の機会に譲る ことにして、私がここで強調した いのは政権交代の問題で、それを させない制度と運用が続いたが、 それをぶち壊すチャンスが訪れま した。
 先生が指摘したように民主主義 の原点と、議会制度の本質を理解 する政治家が、ほとんど存在しな い所に今の日本の悲劇がある。そ こで私は雑誌のインタビューやコ メントなどで、明治の初めに議会 主義を導入した時に、日本人が如 何に苦労したかを知るべきだと強 調してきた。
 帝国憲法は民主主義の点におい ては、十分であるとはいえないも のであったが、それでも明治人た ちは今の国会議員たちよりも、議 会の本質をはるかに良く理解して いたのであり、今の政治家は議会 主義への感性がない。これは教育 の問題に関わっており、議会主義 が何たるかを学校で教えないから です。

藤原 果たしてそうでしょうか。 たとえ学校で教えていなくても、 児童向けの『十五少年漂流記」を 読めば、無人島の少年たちは議論 して重要問題を決めたし、選挙で リーダーを選び年間計画を打ち合 わせており、自治の意義を子供た ちは学んでいます。ところが、日 本の国会は民主的な運営で無人島 以下だし、十五少年に較べて責任 感や名誉心においても、今の国会 議員たちははるかに劣っているの です。

平野  国会議員の中には立派な人 もいるので、十五少年以下だと決 め付けるのに賛成しないが、人気 で当選した入や世襲議員の中には、 議論の能力や政策を考える素養の ない者がとても多い。百年以上も 昔の明治初期に較べた時に、国政 に携わるという政治家たちの意識 や理解力が、劣等だというのは容 易ならざることです。

藤原 安倍の野垂れ死に後に政権 がたらい回しになり、福田や麻生 による無能な政権が続いたために、 世襲代議士を首相にした致命的な 誤りが、日本の政治を徹底的に損っ てしまった。ところが、民主党を 支配する鳩山や小沢も世襲代議士 で、自公体制の政治パターンと大 差がないし、革命ではなく政権交 代で終わり兼ねないので、暴政の 徹底的な批判が絶対に必要になり ます。

平野  民主党のトップが世襲議員 であることは、確かにおっしゃる とおりで問題がある。だが、今回 の選挙結果を無血革命として成功 させる上で、今ここで重要なのは 民主的な議会政治を確立すること です。なに分にも、明治時代の政 治家たちの資質に較べて、現在の 国会議員の意識が低い理由は、歴 史感覚が非常に劣っているからで す。


明治の歴史の深層と共和制への嫌悪

藤原 それはタブーや嘘に支配さ れたために、日本では明治の歴史 をきちんと教えないし、幕末から 文明開化に至る歴史が歪められ、 小説として書き換えられているせ いです。
 汚職による利権政治を改革しよ うとした動きが、権力による徹底 的な弾圧で潰されてしまい、明治 六年の政変が征韓論の形で歪めら れ、外交問題に磨り替えられて教 えている。山県有朋や井上馨によ る利権政治に挑み、その糾弾を試 みた江藤新平司法卿を葬らない限 り、近代国家への道が共和制にな ると怖れて、国権派が民権派を制 圧するための工作が、明治六年の 政変の真相だった。江藤新平はフ ランス的な共和思想の持ち主で、 自由、民権、博愛を信奉していた が故に、国家主義で専制政治家の 大久保利通の手で、反逆者として 葬られて晒し首になっている。し かも、大久保は遣欧使節としてパ リコミューンを目撃し、政権崩壊 の恐怖体験と共和思想への嫌悪感 が、彼の心理の深層を支配してい たのです。

平野  それに、明治六年の政変に 自由民権運動の出発点があり、途 中に西南戦争という西郷と大久保 の対決を挟んで、国権派による支 配体制が固まって行く。次に明治
 十四年の政変に発展したことで、 大隈重信の英国流の議会制度が否 定され、プロシア型の絶対主義へ の傾斜を強めてから、明治二十三 年の明治憲法の制定となって、日 本流の議会制度の発足になるので す。

藤原 でも、明治憲法も国会も上 から与えられたが、立憲君主制の 枠の中で機能したのであり、その 点はそれなりに評価していい。だ が、長州閥を率いた伊藤博文や山 県有朋によって、藩閥政治と軍国 主義が推進されると共に、日本の 国策は帝国主義の路線を邁進した ことで、最終的には大日本帝国は 滅亡しました。

平野  しかし、明治前半における 自由民権への情熱は、欧米の議会 制民主主義を手本にして、それを 日本で実現しようとした努力の点 で、民衆の力が働いていたことは 確かです。だから、今の日本人に 欠けている国造りの意欲に満ち、 真剣で誠実な政治への関心と参加 への意思があり、真の無血革命へ の期待が生きていた。現に自由民 権運動に命をかけた代議士として、 足尾銅山の鉱毒問題に政治生命を 捧げ、明治天皇に直訴を試みた田 中正造がいます。

藤原 環境問題に生涯を捧げた点 では、日本の政治家として田中正 造の存在が、いかに偉大だったか を日本人は忘れている。また、明 治という時代性の中で彼の貢献を 考えて見ると、今の政治家で匹敵 する者は皆無であり、民主政治の 原点に立っているという点で、明 治の日本には素晴らしい政治家が いた。
 なぜならば、当時の日本は列強 と肩を並べるために、国産の銅と 絹を輸出して外貨を稼ぎ、それで 軍艦や兵器を買って兵備を整えて、 近隣諸国を侵略し領土を拡大して いた。しかも、足尾銅山は日本の 銅の半分を産出しており、懸命に 富国強兵を推進する日本政府にとっ ては、田中代議士が鉱毒事件に全 力を注入しており、住居を災害地 に移して取り組んだので、実に扱 いにくい存在に違いなかったと思 います。

平野  彼は第一回の衆議院議員選 挙で当選し、十年間ほど議員とし て鉱毒事件に取り組んだが、命を 賭けて直訴するために議員を辞職 した。そして、全財産を鉱毒事件 の活動に使い果たしたために、死 んだ時には無一文だったそうです。 今時の浮ついた気分でいる国会議 員たちに、「墓掃除に行ったらど うだ」と言いたいほど、彼は民権 運動に殉じた立派な政治家でした。


民主主義から「民守主義」への道

藤原 こうした立派な政治家が明 治にいたから、大逆事件などの弾 圧があったにも関わらず、続いて 大正には民権運動の成果として、 大正デモクラシーが花開くことに なったのです。きっかけは191 7年のロシア革命であり、シベリ ア出兵のために米の買占めや売り 惜しみで、米価が急騰して富山県 で米騒動が起き、それが護憲運動 や普通選挙運動として、新しい形 の民権運動に発展したのです。

平野  その基盤まで田中正造は残 していまして、彼は「人民あって 国家は存在する」と主張し、「地 方自治は国家運営の基礎だ」と論 じ、戦争は犯罪だから軍備全廃を 訴え続けました。彼は日本の憲政 史上で無双の議員で、民権論者と して国民が誇るべき偉人として、 国会議事堂の正門の前に銅像を建 てたい人です。こうして挫折した とはいえ自由民権運動のお陰で、 民衆の立場で議会政治を実践した から、大正時代に民主主義への自 覚が高まったのです。

藤原 当時の日本は君主制に基づ く憲法だったので、民主は君主に 対立すると危惧したために、吉野 作造は民本主義という言葉を使っ た。だが、政治の基礎はデモクラ シーにあると自覚して、日本人は 議会制度の重要性を普通選挙の形 で、大正デモクラシーの旗印に使っ たのだと思います。

平野  デモクラシーを民主主義と 訳したのは誤訳で、確か福沢諭吉 がそう訳したと記憶しますが、民 主を『広辞苑』で引けば「主のた めの民」と書いてある。この重要 な間違いを訂正するためには、民 主の「主」を「守」と書き換えて、 「民守主義」という新しい言葉を 作れば、人間一人一人を大事にす るという意味になるのです。

藤原 興味深い提案ですね。また、 歴史的には英国の自由主義とフラ ンスの民主主義があり、フランス 型よりは米国型の民主主義の方が、 草の根民主主義の精神と結びつい ていて、本来のデモクラシー精神 を体現しています。だから、少な くとも20世紀の半ば頃までのアメ リカ合衆国は、民主制を実践する 理想的な国として、世界から尊敬 された民主国家でした。

平野  問題は日本や世界の政治を 見た場合に、21世紀まで続いた議 会制民主政治の原理が、19世紀の 思想と哲学に基づいていた点です。 だが、高度情報化した民主社会に おける議会政治は、とてもではな いが、今の程度の代表民主制では いけないので、根っこから考え直 さなければならず、新しい政治体 制を作らなければいけないのです。

藤原 それが無血民主革命の新し い課題であり、孔子の昔から「温 故知新」と言うように、新しいも のを作るためには古きを訪ねて、 歴史の教訓から徹底的に学ぶ必要 がある。それは近代に始まった自 然認識として、サイエンスの発達 プロセスと共通したものであり、 観察したものを分析して総合する ことで、そこに普遍法則と帰納原 理を見出すのです。

平野  そうなると歴史の中に革命 の実例を求めて、色んな形で記録 されたモデルを分類して並べ直し、 新しいモデルとして使えるものを 組み立て、それを足場に使って何 かを構築するわけですな。そこま でのことをやれるだけの人が、今 の日本の政治家にいるかどうかは 疑問だが、それをやらない限り革 命など出来ません。


フランス革命と失政と暴政を生み出した場の理論

藤原 それほど深刻に考える必要 はないでしょう。過去の経過を観 察して変化のパターンを知り、現 状を正しく位置づけて異常性を捉 え、将来の方向を見定めるのは診 断学の基礎です。だから、革命学 は未だ認知されていませんが、歴 史学、生理学、病理学、政治学な どを統合して、新しい社会医学と でも呼ぶものを作るために、作業 仮説としての革命のシミュレーショ ンを試みます。そして、どの革命 のどの段階を構成する場の構造が、 どうなっているかについて調べる ことで、作業を始めたらと思うが どうでしょう。

平野  革命には色んな時代とタイ プがあるが、差し当たりどの革命 から手をつけたら、最も手っ取り 早く成果が得られるでしょうか。

藤原  成功例より失敗例が教訓的 という意味で、アメリカ革命より もフランス革命の経過の方が、わ れわれの無血革命を成功させるの に、参考にするシミュレーション として活用できると思う。特に初 期の段階の数年間の動きは、今の 日本の置かれた状況によく対応し ており、参考になるものが数多く 読み取れる。1793年以降の状 況を回避するためにも、大革命の 歴史を深く学ぷ必要があります。

平野 矢張りそうですか。革命と いえばフランス革命だと思ったが、 失敗例としてフランス革命を登場 させるのは面白い。そういえば失 敗したフランス大革命には、破綻 モデルとしてギロチンが登場する し、ナポレオンのクーデタもあっ て波乱万丈だ。また、それを回避 する予防医学という視点は、無血 民主革命の生命力を活性化する意 味において、新鮮であり画期的で あると思います。

藤原 別の興味深い着目点は大正 デモクラシーで、これは絶対主義 とファシズムの時代に挟まれた、 短かいが自由の空気が流れ込んだ、 束の間のデモクラシーを日本人が 満喫した時代です。だが、気候の 寒冷期で穀物の不作が続いたし、 海の彼方ではロシア革命が燃え上 がっており、富山で始まった米騒 動で社会が騒然としていた。しか も、フランスで小麦が取れなくて パンがなくなり、バスチーユ監獄 への襲撃に続き繰り返して、ベル サイユ宮殿ヘパリ市民のデモ隊が 押し寄せ、「パンをよこせ」をス ローガンにしたのと好対照です。

平野 「パンがなければケーキを 食べろ」と言ったという、マリー・ アントワネット王妃の有名な言葉 が生まれた舞台ですな。

藤原 そうです。当時のフランス は王室の乱費で財政破綻し、国庫 は空で民衆は重税と搾取で生活に 苦しんでいた。また、英国の産業 革命に立ち遅れた経済は、輸出難 とインフレのために絶望状態だっ た。場としての文明の中でフラン スの位置は、産業革命で活況を呈 した英国に圧倒されており、絶対 王政の砦のハプスブルク家から王 妃を迎えたが、フランスは領土的 には神聖同盟に包囲され、辛うじ てエカテリーナのロシアだけは敵 対しなかったが、ある意味で孤立 状態に陥ってしまった。

平野  今の日本の立場とよく似た 感じですな。

藤原 そうです。アジアにおける 現在の中国の立場は、産業革命で はなく外貨と技術の導入の成果に よって、中国は世界の工場として 貿易を伸ばし、昔の英国に似た経 済的な繁栄を謳歌している。それ に対して、自公体制の暴政によっ て行き詰まった日本は、工場の海 外移設で国内産業が空洞化し、デ フレ・スパイラルで経済活動は低 下してしまい、地方の商店や地場 産業は壊滅状態です。これはフラ ンスの貴族が国外に逃亡して、エ ミグレとして富を持ち出したのに 酷似しており、昔の英国に相当す るのがバブル中国とすれば、昨日 の友が今日の敵という意味では、 神聖同盟の役は米国や国際金融資 本です。


フランス革命の教訓と「民守革命」の展望

平野  国内産業の空洞化で経済活 動が衰退し、若い人はパートの仕 事しかなくなってしまい、二ート 族やホームレスが増加している。 その上に、30過ぎても低収入で結 婚や家庭が営めなくて、日本人の 間で貧富の差が拡大している。格 差問題は革命期には必ず発生する し、その解決は福祉政策によって 試みられ、フランス革命は産業革 命に伴っていたし、現在は情報革 命が進行しています。これらの問 題の解決が無血民主革命の課題だ が、フランス革命の教訓をどう活 用しますか。

藤原 絶対に必要なのはギロチン を登場させずに、日本を食い荒ら した犯罪者を法的に裁いて、私物 化された公的資産の回復をする。 また、法治国家としての司法制度 をきちんと機能させ、国民の信頼 を政治に取り戻すと共に、民主的 な議会制度を確立することです。 小沢が演じているのがラファイエッ ト将軍の役で、亀井と前原が束に なっても反動型のアポリネール役 の一割にも達しないし、鳩山や菅 にはベルナーヴの洞察も期待でき ない。また、ロベスピエールやタ レイランは未だ登場しないし、日 本には永久に出現しないタイプの 人材です。問題はルイー6世とマ リー・アントワネットであるが、 これは自民党と公明党の残党たち であり、国外逃亡するか外国勢力 を手引きして、エミグレの役割を 果せば事態は深刻です。だが、絶 対王政から立憲王政に移行してい た時に、王様夫婦が国民と国を見 捨てて逃げなければ、フランス革 命は理想革命になったかも知れず、 この辺の歴史のイフは興味が尽き ません。

平野  それは興味深い視点ですね。 だから、恐怖政治が始まらないた めに良く注意して、無血の民守革 命を目指す必要がある。しかも、 それがうまく実現すれば理想的で あるが、革命には反革命がつきも のだから、余程の覚悟と決断力が 必要でしょう。

藤原 それと共に重要なのは国際 情勢であり、英国と同盟する反革 命の強大国としては、絶対支配が 好きなハプスブルク家を始め、軍 事帝国を目指すフリードリッヒの プロシア帝国や、エカテリーナ女 王が支配したロシア帝国などがあ る。
 また、現在は神聖同盟には登場 しない新帝国が幾つもあり、新大 陸に陣取ったアメリカ帝国や、世 界の工場を支配した中華帝国の他 に、アラーに忠実なムスレム帝国 も控えている。
 しかも、姿を見せない多国籍金 融資本も加わり、情報革命が新し い価値を生み出すので、そこで生 き抜くには卓越した知恵が必要で す。それを持ち合わせた人材を大 量に育成して、適材適所で活躍さ せる必要があります。

平野  高度情報化社会の中で生き るには、大変な準備が必要だと分 かっているのに、それに対しての 取り組みが不足です。しかも、今 の日本人には危機感が足りないが、 自らの力で意識を高めようとしな い限りは、世界の動きから取り残 されるばかりで、せっかくの「無 血民主革命」のチャンスなのだか ら、この機会を最大限に生かした いものです。

藤原 有能な人材を育てて確保す るには、国内の産業の空洞化は避 ける必要がある。それには経済の 活性化と新産業を育成し、新しい 国づくりの議論をすることです。 議会制民主主義は議会で議論を尽 くし、合意に達してそれを実行す ることだが、議論が民主制の基礎 だとしての議論は、結論的に「民 主主義」の話題に移りました。そ して、議論への熟達への努力が 「民守革命」を育てるし、結果と して成功への秘訣という結論にな り、話が一応まとまったような感 じがするが、これからの政治の展 開具合が楽しみです。 (つづく)