【ユーゴスラビア王国】Princess Elizabeth of Yugoslavia | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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麗しい、美しい、 愛しいものを......
オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。

旧ユーゴスラビア王国の王族 イェリサヴェータ・カラジョルジェヴィチ(1936年4月7日 - )は、ユーゴスラヴィア王国の王族で摂政を務めたパヴレ王子の娘。同国最後の王ペータル2世の又従妹でユーゴスラビア王女の称号を有した。人権運動家、のちに大統領選に出馬。低い順位ながらイギリス王位継承資格を有している。
Princess Elizabeth of Yugoslavia
Princess Elizabeth of Yugoslavia with her first husband, Howard Oxenberg



イェリサヴェータはユーゴスラビア王国摂政宮であったパヴレ王子とその妻のギリシャ王女オルガとのあいだの第三子、長女として生まれました。

(オルガはゲオルギオス1世の孫娘,ゲオルギオス1世の三男ニコラオス王子とその妻であったロシア大公女エレナ・ウラジーミロヴナの長女。母はロシア皇帝アレクサンドル2世の孫娘) 

※ゲオルギオス1世の四男アンドレオスは 英国エリザベス女王の夫エディンバラ公フィリップの父。


父が1941年に国王ペータル2世によって摂政の地位を追われたため、イェリサヴェータとその家族は第2次世界大戦中、イギリス領ケニアに幽閉されます。

イェリサヴェータは母親を通じてイギリス王室との親戚関係が深く、ケント公エドワードおよびその弟妹と従兄妹同士であるほか、チャールズ皇太子およびその弟妹とも又従姉弟同士。


Princess Elizabeth of Yugoslavia

(この写真はパリの恋人時代のオードリー・ヘップバーンを彷彿させます)



イェリサヴェータは1961年にアメリカ合衆国のケネディ家と親しい服飾メーカーの経営者ハワード・オクセンバーグと結婚し、二人の娘をもうけ、長女のキャサリン・オクセンバーグは女優、俳優のキャスパー・ヴァン・ディーンと結婚。


1966年に最初の夫オクセンバーグと離婚し、1969年にイギリスの銀行家ニール・バルフォアと再婚して息子を一人もうけたが、1978年にはバルフォアとも離婚。

1987年、ペルーの元首相マヌエル・ウロアと三度目の結婚をしたが、1992年に離婚。


2004年、イェリサヴェータは元王家の者が国政に関わるべきでないという家長のアレクサンダル元皇太子の反対を押し切り、セルビア大統領選挙に立候補。選挙の結果、第6位に終わった。

イェリサヴェータは現在、元王族の帰国を許可したセルビアに帰り、王家の他の人々と同様にベオグラードに住んでいる。


Princess Elizabeth of Yugoslavia

princess-elizabeth-of-yugoslavia-1961


Princess Elizabeth of Yugoslavia

HRH Princess Elizabeth of Yugoslavia, human rights activist and former candidate for President of Serbia, photographed on 29th October 1971.



Princess Elizabeth of Yugoslavia

子育てと人権活動にお疲れのご様子
Princess Elizabeth of Yugoslavia





娘のキャサリン・オクセンバーグCatherine Oxenberg(現在52歳)は1982年、『The Royal Romance of Charles and Diana』で主人公ダイアナ皇太子妃(実際にも遠い姻戚に当たる)の役でデビューしたが、出自が影響してプリンセス役のオファーが多く、1987年に『新・ローマの休日』でかつてオードリー・ヘップバーンが演じたアン王女役を演じ、1992年の『Charles and Diana: Unhappily Ever After』では再びダイアナ役に抜擢された。


キャサリン・オクセンバーグ
モナコのカロリーヌ公女系の顔立ち?
キャサリン・オクセンバーグ

一般にはソープオペラ『ダイナスティ』のアマンダ役で知られており、1988年にヒュー・グラントと共演した『白蛇伝説』のヒロイン役など映画出演もこなしています。


1991年6月に長女インディアを出産、父親は明言されておらず。

1998年7月ビバリーヒルズで映画プロデューサー、ロバート・エヴァンズと結婚するも9日で破局。翌1999年5月、何度か共演していた俳優キャスパー・ヴァン・ディーンとヴガスで再婚し、2人の娘をもうけました。2005年に二人の結婚生活を追ったドキュメンタリー番組『I Married a Princess』が製作され、アメリカおよびイギリスで放送されました。


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ユーゴスラビア王国の第2代にして最後の国王ペータル2世の息子、アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ(1945年7月17日 - )は、ユーゴスラビア王国の最後の王太子。

Crown Princess Maria of Yugoslavia

2011年4月に行われたウィリアム王子&キャサリン妃の結婚式にTRH Crown Prince Alexander and the Crown Princess Mary of Yugoslaviaユーゴスラヴィア太子アレクサンダル王子殿下&ユーゴスラヴィア太子妃マリア王子妃殿下、


ペータル2世とその妃でギリシャ王女のアレクサンドラとの間に生まれた一人息子。ロンドンのブルック通りにあるクラリッジス・ホテル212号室のスイート・ルームで生まれ王制廃止後も「アレクサンダル王太子」の名で呼ばれています。

ユーゴスラビア王位継承者は同国内で誕生していることが王位継承の条件であったため、イギリス政府はこのスイート・ルームに対する主権を一時的に放棄し、ユーゴスラビア王国に割譲。このためアレクサンダルは形式上はユーゴスラビア生まれ。


彼の洗礼の代父母を務めたのはイギリス王ジョージ6世とその長女エリザベス王女(現在のイギリス女王エリザベス2世)であった。アレクサンダルには中世セルビアの王家であったネマニッチ家の血も流れていた。母方の祖母であるアスパシア・マノス(ギリシャ王アレクサンドロス1世の貴賤結婚の妻)が養育。

ローマ・カトリック教徒と結婚したことで、アレクサンダルはイギリスのヴィクトリア女王の次男アルフレドの直系子孫として有していたイギリス王位継承権を喪失。3人の息子たちペータル(1980年 - )フィリップ(1982年 - )アレクサンダル(1982年 - )は現在、イギリス王位継承順位を保有。



Crown Princess Maria of Yugoslavia

そしてHRH Princess Elizabeth of Yugoslaviaイェリサヴェータ王女殿下(ユーゴスラヴィア王家分家。セルビア公故アレクサンダルの曾孫、ユーゴスラヴィア王国)も出席。

(イェリサヴェータ・カラジョルジェヴィチは赤い髪飾りを付けている方)