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あやもえのまったりLIFEからの両親認知症バタバタLIFE

子育て終了して引きこもり生活満喫しようとした途端に実両親認知症確定…結果何となくバタバタした日々過ごしてます^^;

床が全く見えなかった実家も、床が少しだけ見える様にはなって来た。

とは言え、10センチ程の通路が出来ただけだが、ジャンプしながら自分の席へ移動はなくなった。

でも、母親の拒否反応は依然続き、父親の私への罵倒は続いた。

包括支援センターなどに相談して、通路が出来たなら、一度通いをやめてみてはどうか?との打診があった。

私が壊れてしまうと。正直、自分の生活と実家の通いは限界になってきていた。

病気だからと我慢しながら先が見えない片付け、何より母親の虚言や父親の暴言が私のメンタルを抉った。

その為毎朝電話して、安否確認と投薬指示、血圧測定をさせ私が記録する事にした。

会うのは病院受診日のみとした。


ある受診日、実家へ行くと誰もいない。

電話しても出ない。

散歩でもしているのだろうか?とも思ったが、朝電話した時に午後イチで迎えに行く約束をそれぞれにした。

念の為、病院に車で行ってみた。

病院に入ってびっくりした。母親が待合室のソファにうつ伏せに寝込んで居て、父親はウロウロしていた。

あり得ないと思ったのは、治療するでも処置室に連れて行くでもなく、医者と職員が遠巻きに母親を見つめてただけだった。

医者に聞いても、調子悪いと言ってうつ伏せになったままだと…。

父親に聞くと朝から2度ほど嘔吐したから、母親が1人で病院に来て、心配で後から追いかけたと。

前から不信感があったものの、近所だからとこの病院にした事を後悔した。

医者からの指示は、整腸剤と吐き気止めを出すので、後日胃腸科専門病院に行けと。

母親の意識は朦朧としている様に見えた。

とりあえずこのままでは無理だと思い、急いで車に乗せて、以前父親が入院していた胃腸科を受診した。

この胃腸科は入院施設もあり、個人病院としては大きな病院で、救急扱いで対応してくれた。

…がしかし、ここの病院でも、紹介状を出すから今すぐ違う病院で受診して欲しいと。

二つ目の病院が良心的だったのは、紹介状とCTの結果、病院へ医者同士連携してくれた。

三つ目の病院に着いた頃には、母親も歩ける様になってたが、念の為車椅子を借りて受診。

その時点で17時を過ぎていたため、入院して朝イチで検査しましょうと言われたが、母親が父親を1人置いておけないと断固拒否。

結果、朝イチ検査は必ずすると約束して、両親を実家に連れ帰った。

その頃には食欲も出て来たとの事で、軽い物を食べさせたが、また嘔吐。

泊まろうか迷ったが、私が座る場所すらない。

結果、私の電話番号を色々なところに貼り付け、何か朝までにあったら夜中でも電話する様に父親に話して帰宅した。


姉と私の旦那が休暇を取って朝イチで付き添ってくれ、再度受診と検査。

胃カメラの為安定剤を注射したので、検査後は車椅子で半眠り状態で出て来た。

医師の診断としては、胃腸が全く動いてない様なので、このままやはり入院、点滴のみで絶食しながら検査を続けるとの事だった。

注射を打った事で、朦朧としてた事が助け船となり、母親は強制的に入院させる事に成功したが、問題は家事も買い物も出来ない父親だった。

包括支援センターに相談し、1時間程でケアマネが決まり、急遽父親を預かって貰える施設を探して貰った。

父親には母親が戻るまでと言う約束で、一旦実家帰宅。

慌てて両親2人分の荷造りを姉と始めたが、下着が全て汚い。

急遽、しまむらに買い出しに行き、その日の夕方に施設の方に迎えに来て貰い、ゴミ屋敷には入れない為、外で契約し、そのまま連れて行って貰った。

この時点でまだ両親の介護度が確定されてなかった為、ショートステイ扱いになった。

私も姉も、金銭面で余裕がある訳ではなく、これからどれだけお金がかかるか分からない。

その日、姉と私の旦那の3人でゴミ屋敷の中から通帳や印鑑などを探した。

当面の入院費や施設代金は払えそうなのを確認し、私が管理する事で金品と一緒にホッとしながら帰宅した。