母親の入院が始まり、父親はショートステイの為、実家に行っても誰にも怒られる事なく作業が出来、淡々と進める事が出来る様になった。
綺麗好きでは決してないが、やはり少しずつでもゴミ袋が増えて行くのが達成感もあり嬉しい。
元々片付け業者さんのYouTube動画を見るのが好きで、見よう見まねで続けていった。
しかし、悪臭や虫はなかなかいなくならず、この2点はかなり辛かった。
母親はガラケーを持って入院したが、毎日電話が来る様になった。
自分の病状を理解できず、なぜ食べ物が当たらないのか、餓死する、なぜ病院に閉じ込めた…など、暴言や落ち込みを私にぶつける様になってきた。
父親の事も心配し、自宅にいると勘違いする。
そして説明すると、なぜ父親を施設に閉じ込めたと怒鳴られた。
コロナ禍真っ只中だった為、面会は出来ず、父親に関しても施設の地域連携員の方に状況を聞くしか方法はなかった。
父親はなぜ自分が施設にいるのか?母親はどうなっているのか?を職員さんが巡回する度に聞いてくると…。職員さんからは、電話で父親と直接話さない方が、父親の動揺をなくす為に良いと言われ、父親の声を生で聞く事はなくなった。
2週間程入院した事で、病名確立や内臓が落ち着いた事により退院の目処が立ってきた。
姉やケアマネさんと相談し、今後の両親の生活をどうするか話し合った。
その時点で母親は実家へ帰れると思い込んでいた。
私の中で、人間の尊厳と生命維持どちらを選ぶか悩んでいた。
尊厳を選ぶなら希望通り実家に両親を戻すべき、しかし、確実に2人とも元の生活に戻すと短命となるのは目に見えていた。
母親の病名は『上腸間膜動脈症候群』と言う物で、簡単に言うと痩せ過ぎにより血管と内臓の間に脂肪が無くなり、圧迫する病気だった。
その為、少しずつでも食べて太らせなくてはならない。
しかし、痩せている事が美徳と言うメンタル面なのか、年齢上食が細くなっているのかは医者も私も分からなかった。
どちらにせよ、母親を普通体型に戻す事は帰宅させると困難だった。
退院日が決まり、母親は幼児の様に立ち上がって喜んでいた。
そんな中、周りの意見も取り入れ、私は父親と同じ施設にショートステイで入れる決意をした。