豊橋市美術博物館にて、
今月スタートする展覧会に
「古田織部宛 千利休 書状」が公開されます!
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企画展「吉田天王社と神主石田家」
チラシ裏面に利休 自筆の書状が紹介されています
展覧会チラシは豊橋祇園祭や手筒花火がクローズアップしてあるので、利休の書状に気づきにくいかも?!
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上記☝️ホームページからチラシPDFデータがダウンロードできます
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江戸時代末に、吉田天王社の神主だった石田秀堅(偃松軒 青標 えんしょうけん せいひょう)が 茶道 宗徧流の不蔵庵 龍渓の弟子だった為か、青標遺品に新出史料となる 利休の書状が見つかりました
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どれくらいスゴイかといえば
現存する利休の自筆書状230通近くが書籍や図録等に掲載される中、織部宛の自筆書状は10通
その中でも織部正になる前の左介宛は2通
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利休→織部→遠州へと変容した茶の湯の歴史で
奇しくも茶堂として仕えた殿様により自刃させられた利休と織部
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さらに書状の内容に座敷(茶室)について記されている点も注目度、大!
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利休書状は「御状拝見候」と始まり
織部からの書状への返信となっています
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宛名は「古左◽︎まいる」とあり織部の官位を得る前の古田左介宛
利休は「宗易(花押)」と署名しています
また「従 門前」とあり大徳寺門前の屋敷より書状を出したこともわかります
日付は「十月十六日」
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箇条書きで
「一、我等 座敷之 ちりかみ儀 承候 」と記された第一条から第五条まで、
利休は織部に「秀様」への報告を依頼
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チラシを凝視すれば判読できるとはいえ、
実物を是非に豊橋へ観にきていただきたくて
ブログにしたためました
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展覧会の図録に書状の翻刻が掲載されますし
詳細な内容は実物を観にきて確かめてくださいませ
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江戸時代後期の三河では江戸より下ってきた僧侶 不蔵庵 龍渓が岡崎(愛知県岡崎市)に居を構え宗徧流を再興しました
龍渓の高弟の一人が、三河吉田藩(愛知県豊橋市)の吉田城内にあった吉田天王社の神主 石田秀堅(青標)です
青標の遺品から見つかった利休の自筆 書状
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なんでも鑑定団に出品されたら話題になること間違いない!とは思いますが、
美術博物館が展示にあたり しっかり調査、分析しているので、鑑定団には出ません
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が、古文書に興味ある場合は鑑定団のホームページ 鑑定士 増田孝さんの鑑定例が参考になります
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ぜひ実物を確かめに、2019年2月19日から3月24日の期間に、豊橋市美術博物館へ足を運んでみてくださいませ。