[553] 古田織部 宛 千利休 書状 | ひつじの手帖

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豊橋市美術博物館にて、
今月スタートする展覧会に
「古田織部宛 千利休 書状」が公開されます!
企画展「吉田天王社と神主石田家」
チラシ裏面に利休 自筆の書状が紹介されています
展覧会チラシは豊橋祇園祭や手筒花火がクローズアップしてあるので、利休の書状に気づきにくいかも?!
上記☝️ホームページからチラシPDFデータがダウンロードできます
江戸時代末に、吉田天王社の神主だった石田秀堅(偃松軒 青標 えんしょうけん せいひょう)が 茶道 宗徧流の不蔵庵 龍渓の弟子だった為か、青標遺品に新出史料となる 利休の書状が見つかりました
どれくらいスゴイかといえば
現存する利休の自筆書状230通近くが書籍や図録等に掲載される中、織部宛の自筆書状は10通
その中でも織部正になる前の左介宛は2通
利休→織部→遠州へと変容した茶の湯の歴史で
奇しくも茶堂として仕えた殿様により自刃させられた利休と織部
さらに書状の内容に座敷(茶室)について記されている点も注目度、大!
利休書状は「御状拝見候」と始まり
織部からの書状への返信となっています
宛名は「古左◽︎まいる」とあり織部の官位を得る前の古田左介宛
利休は「宗易(花押)」と署名しています
また「従 門前」とあり大徳寺門前の屋敷より書状を出したこともわかります
日付は「十月十六日」
箇条書きで
「一、我等 座敷之 ちりかみ儀 承候 」と記された第一条から第五条まで、
利休は織部に「秀様」への報告を依頼
チラシを凝視すれば判読できるとはいえ、
実物を是非に豊橋へ観にきていただきたくて
ブログにしたためました
展覧会の図録に書状の翻刻が掲載されますし
詳細な内容は実物を観にきて確かめてくださいませ
江戸時代後期の三河では江戸より下ってきた僧侶 不蔵庵 龍渓が岡崎(愛知県岡崎市)に居を構え宗徧流を再興しました
龍渓の高弟の一人が、三河吉田藩(愛知県豊橋市)の吉田城内にあった吉田天王社の神主 石田秀堅(青標)です
青標の遺品から見つかった利休の自筆 書状
なんでも鑑定団に出品されたら話題になること間違いない!とは思いますが、
美術博物館が展示にあたり しっかり調査、分析しているので、鑑定団には出ません
が、古文書に興味ある場合は鑑定団のホームページ 鑑定士 増田孝さんの鑑定例が参考になります
再掲 千利休 自筆 書状
ぜひ実物を確かめに、2019年2月19日から3月24日の期間に、豊橋市美術博物館へ足を運んでみてくださいませ。