久々の投稿で 重い話をするのも何なんですが
凄惨な事件
また佐世保で青少年の事件がおきて世間では騒然としてる
>7月26日夜に行方不明になった女子生徒を捜していた警察官が27日、逮捕された女子生徒の自宅で、死亡した状態で倒れているのを発見した。

同級生を殺害し頭部と左手首を切り落とした少女を
一体なにがそうさせたのか。
マスコミ・ネットは殺害の動機(原因)を追い求めている

>そうした中で、ネットでは「理由なき殺人か。まるで『異邦人』の世界だな」という声も出ている。
 『異邦人』はフランスの作家アルベール・カミュ(1913~1960)が1942年に発表した作品。主人公のムルソーは、ささいなことからアラブ人を射殺し、逮捕される。裁判になっても反省の色を見せず、殺したのは「太陽が眩しかったから」と述べ、平然としている。
理性が届かない主人公の姿に周囲は戸惑い、カミュは「不条理の作家」と言われてきた。
【佐世保殺人1週間、二転三転の「動機探し」 見えぬ「心の闇」…まるで「異邦人」の声も】
http://www.j-cast.com/2014/08/03212207.html?p=3


被害者と加害者の間に殺害動機となるような怨恨はない
それなのに猟奇的殺人を犯してしまったのは何か
「父親を金属バットで殴った」
弁論大会で実父をエイリアンと表しながら警察の取調べでは
尊敬していると述べ、亡くなった実母の代わりに継母が来たときは嬉しかったと述べている。(個人的にはこの部分は接見した弁護士のフェイクが入っているように感じる)




週刊文春の記事に目を通してみると
・父は地元でも有名な弁護士でカネはかかるが優秀だという
・実母は父よりも優秀で加害者A子を溺愛していた
・加害者A子は学校でも成績優秀でスケート、ピアノ、絵画などに才能を発揮
・好き嫌いが激しくカッとなり易い性格(小学校で起こした洗剤混入事件で周囲の声)
・一人暮らしは(両親が進めていた)イタリア留学を見据えて


さて、この事件について(あくまで憶測でしかないが)思うのは
行き過ぎた自尊心、人を人と思わない自己愛
ではないかと思う。
弁護士の父親は自分の娘を娘として観ていなかったのではないか。
日頃から勉学にピアノやスケートなど教育熱心であったことは伺えるが
私からみると「理想的な家庭」を演出するための飾りのような気がしてならない
”ペットに近い存在”
そして加害者Aにしてみると被害者の娘もまた”自分を演出するための道具”だったかも
被害者の娘は友人数名からいじめられていたという話もある
とすればAは被害者を
「やさしく面倒見のいい自分を演出するための道具」あるいは・・・

だから、命のある人間としてみることができず罪悪感もない。
異常なまでのプライド。自分達は選ばれた人間であり、
それ以外は
歩いて、会話ができる”何か”
そんな考えがよぎる。
もうひとつの根拠として”ボーカロイド好き”がある。
(世に存在するボーカロイド好きの人たちを誹謗するわけではない)
マスコミが騒いだ「Aはアニメ好き」の報道は、実はAの部屋に初音ミクのポスターがあったことを勘違いしたことにある。
実在するアイドルに憧れることもなく、アーティストにのめり込むこともなかった。(おそらくだが)自分の気持ちを象徴する、あるいは代弁する人間がいなかったからではないか。うがった見方をすれば過剰なエリート意識が生んだ ”人間嫌い”

>小学校時代に公言していた夢は検事。その理由を「戦いたいから」検事になって刑事事件の法廷で父と対峙することを想像していたのだろうか

かもな。だが私はAが検事を目指す理由は
”他人を裁くこと”のように思う。

事件の背景として、自己の欲求と演じている自分へのギャップ
医学書を見ているうちに、自ら解剖したい欲求が抑えきれなくなり
頭部と手首(非公開ながら腹部も切り開かれていたという)の切断という愚挙に及んだ。しかしAには命を奪った罪悪感はない

以上、偏屈な推理で申し訳ない
私自身に 霊能力でも備わっていればAの思考を観ることもできようが
あいにくそんな特殊能力は持ち合わせていない
ただ、いままで猟奇的な事件を見てきたオッサンの経験からくる見方としてスルーしていただきたい。

最後に  
Aはこの後どうなるのだろうか?
おそらく精神鑑定を受けた後に医療少年院に入るのではないか。
ここで待ち受けているのは投薬による去勢
早い話 薬漬け。 精神を崩壊させるやりかただ。
もっとも現在でもまともじゃないだろうけど・・・

誰一人救われない事件だったな