玉虫色とオフホワイトのバルカラー
年末年始に新潟に帰省した際に、私が高校生の頃に着ていたバルカラーコートが見つかりました。
裏地はバーバリーばりの良い色柄のチェックです。
いまファッション業界では東北にあるコート工場が有名ですが、業界の先輩達の話では当時(70年代後半)まだ日本にも良いコートを作る工場がたくさんあり、有名でないブランドでも作りのいいコートはたくさんあったそうです。
そう言えば、新潟の三条市にも良いコート工場があったという話を聞いた事があります。
なので、このコートも縫製や細部の仕様を改めて見てもしっかり作られています。
今や玉虫色のコートはBEAMSでも大人気ですが、当時はこのコートを貰っても正直あまり嬉しくはありませんでした。
というのも、当時玉虫色のバルカラーを着ているのはオジサン達だけで、新潟でこんなオジサンくさい色のバルカラーを着た高校生はほとんどいませんでした(苦笑)。
唯一褒めてくれたのはヤンキーな友人達。
不良の彼らにとっては玉虫色がシブかったらしく結構褒められました(笑)。
当時高校生でアイビーが好きと言えば、バルカラーはオフホワイトかベージュと言うのが一般的でした。
これは1979年のPOPOEYEの1/25号ですが、オフホワイトのバルカラーを着ています。
1978年のPOPEYEのWARDROBE CHECK LISTという特集にもステンカラー(バルカラー)はベージュかオフホワイトがオーソドックスと書かれています。
なので、自分もオフホワイトやベージュのバルカラーが欲しかったのですが、洋服屋の叔父が ”こっちの方がお洒落だからこれを着なさい” と言われてしまえば従うしかありませんでした。
そんな事情もあり、家が裕福な友人たちが日本のトラッドブランドのオフホワイトやベージュのバルカラーを着ているのを横目で見て羨ましく思いながら、卒業するまで3年間このコートを着続けました。
ウールのライニングも付いていないのに、極寒の新潟で雪の日もこのコートを着てハルタのローファーを履いて登校していたのが今となっては懐かしい思い出です。
高校を卒業して上京した時もこのコートを持ってきましたが、高校を卒業してから一度も袖を通すことはありませんでした。
その後クローゼットも手狭になり新潟の生家に送り返したところ、父親が着ていた時期もあったようです。
今では玉虫色のコートが着こなせる年齢になりましたが、このバルカラーを何十年ぶりに眺めていると、童顔だった高校生の私は本当に似合わなかったんだろうなと改めて思います。
そしてその後、私のオフホワイトのバルカラーのイメージはアイビーからフレンチアイビーに変わります。
それを印象付けたのが洋服好きの間では有名なこのアルバムのジャケット。
スタイルカウンシルのポール ウェラーが着るオフホワイトのバルカラーに憧れました。
このバルカラーコート、諸説ありますがAQUASCUTUMのものだというのが有力な説です。
そして、数年前に知人からほとんど着ていないAQUASCUTUMのオフホワイトのバルカラーを譲り受けました。
サイズもピッタリ。
オフホワイトのバルカラーコートは最近あまり見かけないですが、偶然が重なりフレンチアイビーが少し再注目されるタイミングで手に入れることが出来ました。
若い頃のイメージが強く、自分にとってはこの歳になってもバルカラーはオフホワイトなんです。
何周か回って叔父がお洒落だと言っていた意味もやっと理解できるようになりましたが、自分が今親戚の高校生や大学生に玉虫色のコートをすすめるかと言えばNOで、”若いのだからもっと綺麗な色のコートを着なさい” と言います。
最近は古着ブームもあって、自分から見れば若い人たちが随分古臭いもの着ていると思うことも多いですが、自分のような本当のオッサンに古臭いと言われてもピンとこないのかもしれません(笑)。
なので、今回のようなエピソードは、ファッション史を難しく語らなくても興味を持ってもらえるかなと思っています。
人によってはどうでもいい私の個人的な話かもしれませんが、タイミングを見てこんな話もしていこうかなと思っています。
オフホワイトのバルカラーはいいですよ。
フレンチっぽく着るにも絶好のアイテム。
古着屋さんでは綺麗で状態が良いものを見つけるのは難しそう・・・
BEAMSでは・・・
すみません。