僕はもともと様々な物事に対して、非常に批判的な人間です。
人に対しても、その人の良い所よりも悪い所ばかり見てしまいます。
自分を戒める意味合いも込めてアウトプットしておきたいと思います。
七つの習慣という本の中に、こんな話がありました。超省略バージョン。
ある時、電車に乗ったら、父親と思われる人はずっとうつむいていて、その息子と思われる子供が暴れておりました。
腹が立ったのでその父親に一言言ってやろうと、話しかけると、ハッとした顔でこう言ったんだそうです。
私の妻、この子の母親が今朝、亡くなりました。自分もどうしたら良いかわからず、また、息子も気が動転していて、、、本当に申し訳ない。。。
私の怒りはすぐに憐れみに変わり、叱るつもりが、私に何かできることはありませんか?との言葉に変わっていました。
以上超省略抜粋。
パラダイムチェンジと言われるものです。
三つ、思うことがあります。
一つ。
物事を批判する前に、物事の本質を様々な角度から見ることによって、批判することに値しない場合があることを理解するべき。
例えば。
わかりやすい話に置き換えるので、どうかスルーしてください。
タレントの田代まさしさん。
度重なる薬物の使用で、以前にまた逮捕されました。世論はとにかく最低!って感じでした。
しかし、批判する前に、少し反対側から考えてみます。
当然使用することはあってはならないとはいえ、覚せい剤の依存性は、半端では無いらしい。
そして世間からの冷たい目、没落して行く自分の人生、自暴自棄な毎日。
どんな想いで再度クスリに手を出したんだろう。
そう想いを巡らすと、批判の前に、辛かったろうな。大変だったろうな。そう思うこともできます。もちろんクスリは無しですが。
二つ。
僕の好きな本、原因と結果の法則。これ本当のことだと思います。何かを憎んだり、妬んだり、批判したり、はたまた悪いことをしたりしていると、必ず自らに悪しき結果として帰ってくる。。。
自分の人生の幸、不幸は、実は自分の言動にすべて原因があるというもの。
本当の幸せは、誰かの幸せ、何かの幸せを本気で願った人が手にするもので、他者を非難批判する人には訪れない。僕はそう思います。
三つ。
批判するということは、自分や、世間が決めたルールや常識、こうあるべきと言ったモラルに反する物事、言動に対して発せられるものだと思います。
が、受け入れることを拒むという事は柔軟性の欠如とも言えるのではないでしょうか。
もし小さな子供なら、自分の理解の範疇を超えた事象に対しては、素直に、何で??聞くはずです。
いつからか、僕らは、
何で?
の前に、
何してんだよ!
なんて批判が出るようになってたりして、、、
昔、ライト兄弟が、空を飛ぶんだって言った時、多くの人は無理だって批判したんだそうです。できるはずないって。
僕もまだまだ批判的。でも昔よりだいぶ良くなりました(-_-)
そうしたら人生もいい方向に進み出したような気がします。
百倍返しとかしてるとやっぱり出向になっちゃうんですね(T_T)
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