孤独と自由は同じもの | 歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

生きづらさとは、今ここに対する抵抗だった。
『私』という夢から覚めること。
ストーリーの外に出ること。
真実はひとつなるもの。
歓びの表現が在るだけ。




家族で外食しに出かけて   
小雨の中、
30分かけてチャリンコでwww


夫婦2人とも酒を飲むため仕方がないのだ。
(子どもらはそこに疑問さえないだろう🤣)

たらふく食べて🍷酒飲んでの帰り道。

電動自転車の充電が切れた私は、
みんなのスピードに追いつかれず。

みんなが赤信号で止まったときに
反対車線から猛ダッシュで追い抜かす!

子どもらは
かーちゃんに負けんな!と、旦那をあおるwww

クッソーー
負けるもんかとチャリンコを必死でこぐ。
上モモが早くも痛い😂
が、酔っぱらいは無敵!!!
 
でも、次の信号であっさり抜かれる💨






必死で前に行く家族のチャリンコを追う。

ふと、


思い出した。
感覚が
よみがえった。



追いつけないのに、
走らなきゃ、、、

だって絶対に届かない距離。
どんなに全力でこいでも無理なのは明らか。

なのに、
頭は、足は、自転車をこがなきゃ、追いつかなきゃと
焦る、、焦る。

絶望的なのに、走らなきゃならない
この感じに、久しぶりに出逢った。






おいていかれる。

頼むから行かないで!

待って!

私はここにいるの!

振り向いて!!!


そんな
途方もない
孤独感だけが
世界だった。






で。

追いかけることをやめたんだ。









これは

諦めとは違う感覚。






その時はじめて


雨のにおい

車の音

雨に濡れた顔と両腕と寒さ

上ももの浮いた痛み

ポッカリと空いた
捕まりどころを探そうとする


不安定な、感じ。




もう、

前をゆく、家族5台のチャリンコは見えない。


もう、
追いかける必要も
たどり着くべきという観念もなく

かといって、
これでよし!という肯定もない。



ただ

この
どうしようもない孤独感という経験が

久々に新鮮に

ここにありました。




この、
憤り。


埋めたくなるね。
消したくなるね。






三男坊が、ひとり
少し先の曲がり角で、
私を待っていてくれたんだ。

母ちゃん大丈夫?って。



涙が出た。





でも
やっぱり同じ。






ひとりでも
誰かがいても

満たされていても
不満でも不快でも


何かのためにとか、
するべきことが見当たらない自由は


もう既にここにあるね。






まだ飲むのかよ?!