妖怪ウォッチにみる時代の変化 〜アナ雪・マーニーに続く自己肯定の世界〜 | 永遠のホリデー(^O^)/

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今をトキメク妖怪ウォッチ
コンビニ、レストラン、家電量販店
どこに行っても妖怪ウォッチまみれでごじゃる。もんげー!!

まいのこはゲームをプレイしてませんし、別段ハマっちゃいないのですが
漫画を多少立ち読みしたり、Huluでアニメを見たりして大体把握してます。

「妖怪ウォッチが流行る理由」
ジバニャンが可愛い、踊りが楽しい
作中のネタが古いので(私の親世代のノリ)親と一緒に見れる、、、など
色々細かい要素はあると思うのですが

本質は「ヒーロー/プリンセス像」からの卒業!
「自分らしさとは?」を問うアナと雪の女王、思い出のマーニーをはじめ
理想像を追いかける時代から「あるがままの自分自身にもどる時代」への変化。
妖怪ウォッチもしっかり、その時代の波にのった作品だったのです。

こちら主人公(笑)
なにかにつけて「ふつう」を強調されます。


これは「つまらないやつ」というような否定的な意味ではなく
「ふつうでいい」という意味なんです。

ケータくんは妖怪ウォッチを手に入れたという以外、特別な能力は皆無で
単に物語を誘引する語り部でしかありません。

少年漫画にありがちな
「特殊な能力を秘めた血筋」
「天才的技術」
「カリスマ的魅力や統率性」
「世界規模の戦いに巻き込まれる」

といった要素は 一切 ございません(笑)

物語の主人公になるには、特別な何かがなくてはいけない・・・
強くて格好よくて人気者、夢があり努力家で自己犠牲もいとわない。

そんな「理想的な何か」にならなくてはいけない・・・
人々は、こういったヒーロー像の押し付けに心底飽きてしてしまったんです。

加えて「善悪」という水戸黄門時代からの概念も賞味期限をむかえました。
物語には「ワルモノ」が必要不可欠でした。
それは主人公が「絶対正義」である為の対比であったからです。

しかし、情報社会の子供たちは気づいてしまったのです。
ワルモノをやっつける為にヒーローが生まれるのではなく
ヒーローを生むためにワルモノが作られるという茶番に。

妖怪ウォッチは
キテレツ大百科とコナンと鬼太郎とポケモンを足したような王道設定に溢れていますが
王道の中でも大きな違いがあります。

「どうみてもジャイアンとスネオ(ブタゴリラとトンガリ)ポジション」の友達
ガキ大将&小金持ちという設定は同じながら
「別に主人公にイジワルをしたりしない」のです。
普通に接し、ふざけ、遊びます。
この他にも沢山のクラスメートがいますが、ケータくんの扱いは「いたって普通」です。

こちらはケータくんが好意を寄せる同級生フミちゃん。
本来ならヒロインポジションですが
妖怪に攫われることもなく、別段優しいわけでもなく、クラス1のマドンナでもありません。

そして妖怪たち。
問題を起こすものも居ますが、基本的には「ともだち」になるだけです。

あくまで「日常のなんてことない現象の象徴」として存在するだけなので
「悪の親玉と手下」のような勢力もなく
闘って、強くなって、成長していく・・・というようなバトル要素もありません。

そう、なんでもないのです。
みんな普通。普通、普通・・・
ケータくんに繰り返し与えられる「普通」という称号は、この作品全体を表しているんです。

なんでもなくてもいい。なんでもなくても良いよって言って欲しい
ただ、普通の自分を肯定したい。

妖怪ウォッチがポケモンを押しのけて、これだけ流行したのは
大人も子供も
世界一を目指したり、強くなったり、特別になることを強制する風潮に嫌気がさしたからだと思います。